一般的に「シルバー民主主義」などと呼ばれる、少子高齢化により高齢者が有権者の多数派となり、政治への影響力が増すとされる現象。日本では、1950年には全有権者のうちの50%を超えていた若者世代(20~30代)の割合が、2015年には30%弱まで低下。一方、60歳以上の高齢世代の割合は14%から40%に上昇し、2050年には有権者の半分以上が高齢世代になると予想されています。
こうして社会の年齢構成がゆがむと、懸念されるのは民主主義の原則である「1人1票」に限界が出てくるのではないかということ。例えば昨年7月に行われた参議院議員選挙の投票率を見ても、60代は63・58%、70代以上は56・31%と有権者の半数以上が投票に出かけている一方で、10代は32・28%、20代は30・96%と三分の1に満たない状況です。
人口構造の変化や投票行動の差が高齢者中心の政策展開につながり、社会の持続可能性が損なわれるのではないかという声は、特に若い世代から大きく聞かれるところ。若者のこうした諦念が政治参加への意欲にもつながり、結果としてシルバー民主主義を(さらに)助長しているとの指摘もあるようです。
さて、こうした折、11月7日の毎日新聞に掲載された政治学者の吉田徹同志社大教授へのインタビュー記事『高齢者は若者の敵か』が、ネット上で(ちょっとした)話題を呼んでいるとのことでした。
「今の日本の社会保障制度は高齢者優先になっているため、財政赤字拡大に歯止めがかからない」「今の政治は高齢者のほうばかり向いていて、現役世代への給付が不十分」、そして「社会保障財政が悪化するのは、政治家が投票率の高い高齢者ばかりを向いているから」といったシルバー民主主義への懸念の声が高まっている。実際、日本の社会保障制度が高齢者偏重になっているのは事実で、社会保障制度の大きな改革ができていないのはその通りだと吉田氏は話しています。
しかし、若い世代には誤解もある。経緯を詳細に追っていくと、現在の状況は(決して)シルバー民主主義によって生まれたものではないことがわかるというのが氏の指摘するところです。
現在の社会保障制度の基本設計がなされ「福祉元年」といわれる1973年は、実は人口構成としては現在よりもずっと若い時代だったと、氏はここで説明しています。来たるべき高齢社会に向けて、当時の政治がやるべきことをやっただけ。特に第2次安倍政権以降は現役世代への給付が以前より増え、逆に高齢者の負担は増加しているということです。
しかし、それでも「高齢者のせいで若者が損をしている」との主張が賛同を得ているのはなぜなのか。それは、「シルバー民主主義」だからではなく、日本が没落しつつある感覚が根底にあるからだろうと吉田氏は見ています。
その中で、(バブルなどで「いい思い」をした世代に比べ)自分たちは損をしているという感覚が、資力やつながりを欠く若者の間に強くあり、無力感や絶望感を生み出している。社会で没落感が強まるとスケープゴート探しが始まり、高齢化社会である日本では、高齢者が狙い撃ちにされているということです。
自分たちのルサンチマン(報復感情)を正当化する論理のことを、社会学者マンハイムは「虚偽意識」と呼んだが、これが「シルバー民主主義」への賛意の背景にあるというのがこの記事における吉田氏の見解です。そういた中で、自分もいつか高齢者になる、あるいは自分も生活保護の世話になるかもしれないという想像力が働かなくなっている。若者たちの間に「今だけ、ここだけ、私だけ」という意識が広がっているということです。
長期的な人生の展望が見いだせないと、連帯の意識が薄くなり、自分の生存が一番大事になる。なので、結果的に長い人生のなかでどう振る舞うべきかを考えられなくなり、限られたパイの奪い合いになると氏は説明しています。
社会のなかで分断線を引き、君たちが苦しいのはこういう理由だとわかりやすい敵を作るようになると、一人一人が社会全体や他人のことを考えて役割を果たすという考え方が失われていく。自分の利益だけを優先しようとすることで一人一人が孤立し、結局、自分で自分の首を絞めていくということです。
さて、そうした状況の中で、政治に不満があるのであれば、参加してよりよいものにしていくのが民主主義というもの。ところが事態は逆になっていると氏はここで指摘しています。
税金も、本来は自分が生活を送るうえで必要なものを提供してくれるためにあるのに、「取られ損」と考えるようになる。生存競争が始まると、そうしたカネが誰かに奪われている、あるいは誰かから奪ってくればいいという思考となり、もはや自然状態、ホッブズのいう「万人の万人による闘争」状態が生まれるということです。
「シルバー民主主義」の言説は、こうした隠れた負の効果をもたらし得ることにも注意すべきだと吉田氏はインタビューの最後に話しています。
本来、権力はよきことを実現するためにあるのであって、問われるべきは権力を遠ざけることではなく、それを(道具として)いかに使うかにある。今の日本は、他の世代を非難するのではなく、社会全体でどうすれば権力を強く、同時に信頼できるものにするかを考えなければならない時に来ていると語る吉田氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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