MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2363 少子化への向き合い方

2023年02月14日 | 社会・経済

 1月4日の記者会見で、政権として2023年に「異次元の少子化対策」に挑戦すると表明した岸田文雄首相。今後、関係省庁などによる対策会議を設置し、3月までに児童手当の(異次元の)拡充などのたたき台を作るとしています。

 一方、東京都の小池百合子知事は岸田首相の会見を受け、(国の予算案は「反転攻勢に出るぞ!という勢いになっていない」と批判のうえ)、さっそく18歳以下の都民全員に1人あたり月5000円程度の給付を始める方針を示しました。この対応に、国の児童手当に所得制限がかかり高所得層に不満が募る中、タイミングとスピードによって「おいしい所」をさらっていったと言う向きもあるようです。

 確かに少子化対策は、1990年代から何度も大きな政治課題として取り上げられ多くの計画や法案が重ねられてきました。しかし、結論から言えば(少なくとも「少子化」に関して)国の対策は功を奏さず、親となる世代の減少とともに少子化・人口減少の傾向が加速している状況にあります。

 (結局のところ、)30年以上にわたるこうした試行錯誤の中でたどり着いた「異次元」の少子化対策の結論が、「児童手当の増額」や「子ども一人に5000円の給付」であったとしたら(それはそれで)笑えない冗談のような話です。

 「少子化」を巡る昨今のこうした動きに対し、1月14日の日本経済新聞の経済コラム「大機小機」が『少子化対策、「予算の先」見据えよ』と題する一文を掲げているので、この機会に小欄に残しておきたいと思います。

 岸田文雄首相は少子化対策に力を入れるという姿勢を示している。これを受けて政府は子育て支援の予算を大幅に増やすとしているが、次のことも忘れないでほしいと筆者はこのコラムに記しています。

 第1のポイントは、「目標」を(しっかり)再検討すること。実際、現在の少子化対策については二つの目標数値があるとコラムはしています。

 一つは、アベノミクス新三本の矢(2015年)でも示されている希望出生率1.8(結婚したい人が全て結婚し、産みたいと考える子供が全部生まれた時の出生率)の実現。そしてもう一つが、2014年の骨太方針で示された人口1億人。具体的には、2040年までに出生率を人口の置換水準(人口を一定に保つために必要な出生率のレベル)である2.07に戻すという目標だということです。

 しかし、この二つの目標は(実は)既に破綻していると筆者は指摘しています。新型コロナウイルス後のデータで計算すると、現時点の希望出生率は1.6程度に低下している。希望を最大限に叶えても1.6にしかならないのだから、(現実の)出生率を1.8したり2.07に伸ばしたりするのは、もはや絶望的だというのが筆者の見解です。

 (言うまでもなく)非現実的な目標をお題目として設定しても、結果として過度な楽観に繋がるばかりだと筆者は言います。(これまでのように)政治的に「やったふり」を続けていかないためにも、より現実に即した目標を設定すべきだということです。

 第2のポイントとして、低出生率の原因を改めて考えてみるべきだとコラムはしています。

 日本では、経済社会が時代の変化に追い付いていないことが、「低出生率」となって表れている面がある。例えば正規雇用と非正規雇用の二極化は、子育て後に非正規で労働市場に再参入する女性の負担を大きくしている。男性の家事・育児への参加も少ない。低出生率そのものが病なのではなく、時代遅れの働き方や、男女格差こそが「本当の病」だというのが筆者の認識です。

 だとすれば、やみくもに育児資金などを積み上げても未来は見えてこない。社会全体の意識を変え、経済活動の仕組みを変えていくことが求められているということでしょう。

 これからの少子化対策の、第3のポイントとなるのは「財源問題」だとコラムは指摘しています。

 子育て支援の財政措置は社会保障費の一部なので、安易に増やしていくと、ただでさえ基盤が揺らいでいる社会保障制度の安定性をさらに損なうことになる。国民の反感を恐れて国債に頼っていては、これからの世代に負担を押し付け、逆に少子化を助長しかねないというのが筆者の懸念するところ。現役世代には(「逃げ切ろう」などと考えることなく)次の世代のために身を切る覚悟が必要だということでしょう。

 そして、最後の第4のポイントは、実際に人口が減少しても崩れない経済社会の仕組みを整備していくことだとコラムは記しています。

 出生率を2以上にすることは、できたとしても相当の先の話となるだろう。そして、(もしも)それが仮に実現しても、人口増につながるにはさらに時間がかかると筆者はしています。

 (大量の移民の受け入れなどを決断しなければ)今後、数十年は人口減少が続くことはほぼ間違いない。だとすれば、生産性を高め、頑健な社会保障制度を目指すことで、人口減少下でも国民福祉が損なわれない経済社会の姿を目指すべきだというのが筆者の提案するところです。

 結局のところ、少子化をもたらしてきた社会の大きな流れは急には変わらない。生活の足元に不安が残る限り、出産や育児にかかるお金を積み上げやみくもに出生率の向上ばかりを狙っても、(おそらくは)一時のカンフル剤の役割しか果たせないのかもしれません。

 まずは、右肩上がりを前提とした消費をベースとした社会制度を見直し、暮らし全体をエコで持続可能なスケールにダウンサイジングしていくこと。政治には、未来に希望の持てる、サスティナブルな安定した(日本の)社会を描き出すことが求められているということでしょう。

 「異次元」だ、「反転攻勢」だと声高に叫ぶことも、(時に)政治的には必要かもしれませんが、「少子化」はあくまで社会の実態を反映した「結果」であり、(出生増は)トータルな政策による国民の意識変革によってしかもたらされないことを肝に銘じる必要があると、改めて感じている次第です。



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