MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

#2093 「拡大自殺」の背景にあるもの

2022年02月19日 | 社会・経済


 精神的に追い込まれた男がやぶれかぶれになって他人を道連れにし無理心中を図るという、「拡大自殺」と呼ばれるような凶悪で理不尽な犯行が国内で続いています。 大阪市の心療内科クリニックで25人が犠牲者となった昨年12月のビル放火殺人事件の容疑者は、暮らしに行き詰まり精神科の診療所に通院していた60代の男でした。

 1月15日に、大学入学共通テストの試験会場だった東京大学の正門前で、通りかかった受験生などに切りつけ殺人未遂で逮捕されたのは、学力低下に苦しむ名古屋に住む高校2年の男子学生。そして年明けの1月27日には、埼玉県ふじみ野市で、母親を老衰で失った66歳の男が猟銃を手に自宅に立てこもり、人質となっていた医師が撃たれ殺害されるという事件も起こりました。

 相手が悪いわけもないのに、なぜ(こうした男たちは)赤の他人を巻き添えにして自殺を図ろうと考えるのか。その辺りの心理状態に関し、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が「週刊プレイボーイ」誌の1月31日発売号に、「北新地ビル放火殺人のような"どこにも居場所がない"中高年男性による「下級国民のテロリズム」はますます増えていく」と題する一文を寄せています。

 大阪北新地のビルに入居する心療内科のクリニックが放火された事件は、最終的に25人が死亡する惨事となった。橘氏によれば、容疑者はかつては腕のいい板金工として働き、1985年に看護師の女性と結婚、2年後に新築の家を建てて妻と息子2人とともに約20年間普通に暮らしていた男だということです。

 ところが2008年に離婚したのをきっかけに彼は仕事を辞め、同年暮れには包丁や催涙スプレー、ハンマーなどを持って元妻宅を襲撃。居合わせた長男を出刃包丁で殺そうとして逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けたとされています。橘氏によれば、大阪地裁の判決を見る限り(その際)「寂しさを募らせて孤独感などから自殺を考えるように」なったとされている。彼は、「死ぬのが怖くてなかなか自殺に踏み切れなかった」ことから、「誰かを殺せば死ねるのではないか」と考えたということです。

 出所後、同容疑者は仕事に就くこともなく父親から相続した文化住宅に暮らし、自宅を賃貸に出して家賃収入を得ていた。しかし、家に借り手がつかなくなったことで経済的に困窮し、ふたたび自殺を考え始めたと橘氏はしています。そしてその際、標的が家族から約3年間通った心療内科に変わった。結果、「他者を巻き添えにして死ぬ」という計画は、まったく同じように遂行されたということです。

 さて、この種の事件が難しいのは、どうしたら惨事を(未然に)防ぐことができたのかがわからないことだと橘氏はこのコラムに綴っています。「拡大自殺」の難を逃れた元妻や子どもたち出所後の容疑者を受け入れることはあり得ず、一方、容疑者に自殺願望があるからといって、いつまでも刑務所に留めておいたり、精神科施設に強制入院させるわけにもいかない。銀行口座の残高がゼロになったといっても、2軒の家を所有していていては、役所が生活保護を認めることも難しいだろうということです。

 こうして、彼には社会での居場所がなくなった。こんな状態で、容疑者の(おそらく)唯一の話し相手だったクリニックの院長は(逆恨みのうえ)生命を奪われてしまうのだから、この事件は理不尽としかいいようがないと橘氏は言います。

 果たして誰が、どのような「居場所」を容疑者に提供すればよかったのか。この事件が社会を動揺させたのは、容疑者と同じように「どこにも居場所がない」中高年男性が、実はこの日本の社会に(ものすごく)たくさんいることにみんな気づいているからだと、氏はこのコラムで指摘しています。

 もちろん孤独だからといって誰もが犯罪を実行するわけではない。しかし、高齢化が進むにつれて母数は確実に増えていく。2030年の日本は国民の3分の1が65歳以上の「高齢者」になることがほぼ確実であり、歳をとるほど「成功者」と「失敗者」の格差は開いていくので、居場所のない男たちが社会に溢れることは避けられそうにないというのが氏の見解です。

 それを考えれば、これからも「下級国民のテロリズム」が突発的に起きることを覚悟するほかないのかもしれないと、氏はこのコラムの最後に綴っています。埼玉県ふじみ野市で起きた医師射殺事件も、状況は異なるものの、こうした時代の前触れの一形態なのかもしれないということです。

 さて、(おそらく今後も増えていくであろう)このような追い詰められた男たちが引き起こす「拡大自殺」の被害をどう防いでいけばよいのか。そうした観点に立ち、1月18日の読売新聞オンラインは、日本自殺予防学会理事長の張賢徳氏へのインタビュー記事を掲載しています。

 自殺も拡大自殺も根本にあるのは「死にたい」という願望で、大半はそのベクトルが自分に向くが、(少ない確率ではあるものの)中には自己と他者の両方に向かう人がいる。そして、そうした場合は「他人が悪い」と考える他責感が強まり、他者や社会への攻撃的な傾向が強くなると張氏はこの記事で話しています。

 近年、拡大自殺とみなされるような事件が増えている背景には、格差拡大や人間関係の希薄化による日本人の精神性の変容があると考えられる。自己責任が強調されすぎて「助けて」と言いづらい社会になり、孤立する中で、他責や攻撃的な傾向が強まっているのではないかというのが、専門家として張氏が指摘するところです。

 犯罪心理学で一度に大勢を巻き込む「無差別大量殺人」という分類があるが、その多くが拡大自殺とされ、行動パターンも類似すると張氏は話しています。

 これまでの研究では、大量殺人にみられる犯人の特徴として、①挫折や絶望の中にいる、②自殺を望む、③一人でも多く殺害しようと効率的な殺傷の計画を立てる―などが挙げられている。そして、こうした精神状態(つまり、立ち直れないほどの「挫折」やどこにも行き場のない「絶望」)を招く状況は、大方の場合「孤独」が生み出しているというのが氏の見解です。

 人は社会とつながりが強いほど犯罪を思いとどまる。一方、孤立すれば社会への愛着や尊重の気持ちが薄れ、自暴自棄になると張氏はしています。拡大自殺を図る人は自殺が目的で、いくら厳罰化しても抑止効果は期待できない。このため、大量殺人と同様、拡大自殺に至る要因となる孤立をどう防ぐかが重要となるということです。

 結局のところ、人とのつながりがコミュニケーションを生み、(孤独でいることで生まれる)独りよがりな思い込みや過剰な行動を抑制するということでしょうか。

 しかしその一方で、(記事の指摘はわかりますが)そうした彼(ら)のターゲットにされたのが、職務としてコミュニケーションに臨んだ(ある意味、専門家の)医師であることを考えれば、その対応はかなり困難を極めるのではないかと改めて感じたところです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿