MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯55 炭素文明論

2013年09月08日 | 本と雑誌

 私たち人類はどのような必然があって、現在のこのような生活を送っているのか。たまには歴史の教科書に書いてあるような年号の羅列を離れ、人類の歩んできた道のりを振り返り空想する時間を持つのも少し「わくわくする」楽しい体験です。そして、光を当てる方向をほんの少し変えるだけで、そこに見えてくるものはどうやら随分と違ってくるようです。

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 人類が狩猟・採取生活をしていた1万年数千年前、男性の平均身長は178センチほどあった(あ、意外に高い)そうですが、定住・農耕生活が始まると同時にこれが160センチそこそこに落ち込んだということが最近の調査で分かっているそうです。

 加えて虫歯や感染症のリスクが高まったことなどで、例えばそれまで35.4歳であった男性の平均年齢は33.1歳へ、女性も30.0歳から29.2歳へと縮んだのだとか…。さらには、それまでの狩猟時代には1日に3時間も働けば必要なカロリーが確保できていたのに、農耕開始後は日中の長い時間を集団で畑仕事に従事することが求められるなど、人々は農耕生活によって土地や時間(や集団生活における人間関係…())に縛られる、規則的な生活を余儀なくされることになりました。

 そういえば、テレビで見たアマゾンの奥地に暮らすヤノマミ族などは、一日の大半を家族とハンモックに揺られてのんびり暮らしていたように思います。そうした生活もまた現代人の憧れるところではありますが、人類はなぜそのような気楽な暮らしを捨ててまで、農作業や土地に縛られる農耕生活を選んだのでしょうか。

 サイエンスライターの佐藤健太郎さんは著書「炭素文明論」(新潮選書)の中で、人類に文明をもたらしたこの大転換に関して、「農耕」自体は豊かな食料を得るための画期的な新技術などではなく、何らかの事情に迫られて止むにやまれず選んだ道と考えるのが妥当ではないかとしています。

 そしてその「事情」として、約1万3000年前に起きた地球規模での気温の急激な低下を挙げています。1千数百年間も続いたこの寒冷期は多くの野生動物を絶滅に追い込み、人類は一気に食料を失ったというのが最も有力な説だということでした。(そういえば漫画の「はじめ人間ギャートルズ」でも、お腹が減った家族を満足させるためお父さんは雪の中マンモスを追って狩りをしていましたっけ。)

 さて、このように「エデンの園」から追いやられ農耕生活を始めた人類は、ここでデンプンというブドウ糖の分子が連なる炭素化合物に出会います。水との親和性が高く加熱することにより消化分解を促しエネルギー源としてすぐに活用できるこの「デンプン」という物質。佐藤さんは、この優れた炭化水素を日常的なエネルギー源として手に入れたことにより、人類の脳の発達が著しく促されたのではないかとしています。

 また、デンプンは長期間の貯蔵に耐える物質であることから余剰食糧の備蓄が生じ、「富」や「分配」、「階級」「軍隊」そして「政治」などの現代まで続く人間社会の基本的な仕組みが生まれた。こうした社会にもたらされた変化は、「腐敗や変質を受けにくいというデンプンの性質がそのブースターになっている」と指摘しているところです。

 「炭素文明論」では、地上にわずか0.8パーセントしか存在しないこの「炭素」という特異な元素に光を当てながら、化学者の視点から人間社会の変化、人類の歴史に炭素化合物がどのように関係してきたか…むしろ炭素化合物との様々な出会いによって、人類がどのように歴史を作ってきたかを追っています。

 その後の人類が出会った炭素化合物として佐藤さんが例に挙げるのは、ヨーロッパの人々を新航路や新大陸の発見や新大陸に向かわせた芳香族化合物(香辛料)であり、人類の心を動かしたニコチンでありカフェインでありアルコールなどです。さらに人類は歴史を変える強力な武器となったニトロを発見し、大気中の窒素を固定をするためにアンモニアを活用することを思いつきました。そして産業革命によって石炭や石油との運命的な出会いを果たし、近代から現代まで続くブレイクスルーを一挙に成し遂げることができたのだということです。

 佐藤さんは、この炭素という元素を通じ化学者として冷静に歴史を見つめています。そこには宗教対立とかイデオロギーとか国家観などとは別の、時代のキーワードとなった炭素化合物への客観的で、そして暖かい視線があるように思えます。佐藤さんによれば、エネルギーとしての炭素争奪戦が限界を迎えつつある今、増大する人口を賄うには大気中の炭素を固定する人工光合成や植物を使ったエネルギーの技術開発に活路を見出すほかはないとしています。

 持続可能な地球の実現がこれからの人類に課せられた究極のミッションであり、その解決のためには「炭素」という小さく平凡で、それでいて不思議な力を秘めた元素に光を当て、大切な資源である「炭素」をマネジメントする技術を身につけていく必要があるとしています。


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