MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯397 比べない生き方

2015年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム


 自己責任や自由競争を基調としたいわゆる「新自由主義」が国際社会のグローバルスタンダードと見なされるようになって、既に20年近い時間が過ぎようとしています。しかし、こうした世界の潮流と相反して、なぜか国内の子育てや教育の世界ではみんな仲良く手を取り合って生きる(成長する)という姿勢ばかりが強調され、「他人と比較すること」や「競争をすること」が否定される傾向が強いという話をよく耳にします。

 幼稚園や小学校の関係者に聞くところでは、昨今の保護者たちの多く(と一部の教員)は、確かに負けた子供たちの心を傷つけてしまうことを恐れる余り、そうした状況が顕在化する機会をどうしても回避しがちだということです。

 成績や順位を発表することは、下位の子供に心の傷を負わせ、さらには子供たちの「やる気」を奪ってしまうのではないか。傷ついた子供たちは未来への希望を失い、「どうせ自分なんか…」というような劣等感を抱き、希望を持って前向きに生きられなくなってしまうのではないか。親たちはそうした漠然とした不安のもと、子どもたちに自身のポジションを知らしめることをためらっているのではないかということです。

 運動会では、保護者たちの前で(一部の)運動神経の良い子供ばかりがほめられたり表彰されたりしないよう、担任は種目ごとの子供たちの組み合わせに随分気を使うそうです。また、学芸会やお遊戯会でも、一部の園児や児童ばかりが目立つことがないよう、配役には細心の注意が必要だという話も聞きました。

 現実の大人の社会には、「競争」があり、「選別」があり、「評価」があり、その結果如何によって(←当然、それ以外の要素もありますが)大きな「格差」がもたらされているのは誰もが知っていることです。そうしたことは判っていても、それでもなお自分の子どもには、(少なくとも子どもの時くらいは)傷ついてほしくない、さらには、親としてもそうした我が子(の評価)を見たくない、そう思う親達が多いということでしょうか。

 こうした(特に教育界における)他者との比較を否定する風潮に関し、6月17日の「東洋経済 オンライン」では、精神科医の和田秀樹(わだ・ひでき)氏が、『他人と比べない生き方では幸せになれない』と題する興味深い論評を掲載しています。

 和田氏は、幼児期から思春期の「挫折」がもたらす子供たちの意欲への(良くない)影響を指摘する意見が多い中で、むしろ「比較する」こと自体が人間の普遍的な心理と受け止める心理学者も少なからずいるとしています。

 例えば、フロイトやユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した一人とされるオーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーは、「人間には“優越性の追求”という普遍的な欲求がある」としているそうです。「優越感」が満たされなければ、普通はその反動として「劣等感」が生まれることになりますが、アドラーはそうした劣等感が、実はそれを跳ね返そうとする人間のパワーに繋がっていると考えているということです。
 
 この劣等感があまり強くなりすぎたり環境にゆがめられたりすると、「どうせ負けるのだから」といった、ある種のあきらめにつながる「劣等コンプレックス」が生まれる可能性もあります。そこでアドラーは、「勇気づけ」といって、このような劣等感を抱く際に「やればできるはず」と思えるだけの経験と(それに基づく)自信の必要性を説いているということです。

 また、同じくオーストリアの精神科医で現在の精神分析学の端緒を開いたハインツ・コフートは、成長段階における「勝つ」という体験や「ほめられる」経験の意義に注目した心理学者のひとりだと和田氏はしています。

 コフートは、人間には本来、「自分は特別だ」とか「人より優れている」と思いたい心理(いわゆる「自己愛」)を満たしたいという欲求が存在していて、人と比較したうえでの相対的な位置が気になるのは人間に共通した普遍的な心理だと説いています。そして、人に認められたり褒められたりする体験が、心理的な安定や成長を促し人間をさらに野心的にするということです。

 和田氏によれば、アドラーもコフートも「比較」することや競争する経験の大切さを説く一方で、劣等コンプレックスの原因として、「負ける」という体験そのものよりも、その際にバカにされたり、人に認めてもらえなかったりする「心の傷つき」をより大きな問題として取り上げているということです。

 アドラーは、自身の著作において「優越性の追求」が満たされることの心の発達への好影響を論じており、またコフートも自己愛が満たされないと心は十分に成長しないし野心も育たないことを指摘していると、和田氏はこの論評で述べています。

 心理学者の詳細な実験や分析を待つまでもなく、子供たちの心が傷つくことを恐れて成長の過程における一切の競争を排除してしまえば、やはり人間の心は十分に成長しないことは経験的にも十分理解できるところです。

 勝ち負けの評価の物差しは一つではありません。こちらでは負けているけれどもこちらでは勝っている…そういう多様な価値観の存在を知ることがまず必要になるでしょう。また、ひとつの勝負の勝ち負けばかりに拘泥せず、成長の度合いや努力の過程を評価することによって、次の勝負への新たな希望に繋がることもあるかもしれません。

 個性や能力の異なる人間たちが共同生活を送っていく以上、社会の中から比較や競争を排除することは不可能であり、また社会の発展にも繋がっていかないことは明らかです。「比較」が成長にとって不可欠なハードルであるならば、必要なのはその体験を「次に生かす」ための工夫であるということを、この論評から私も改めて感じさせられたところです。




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