厚生労働省の新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの報告によれば、12月1日現在の国内における新型コロナウイルスへの新規感染者数は、今週先週比が0.75と減少が継続しており、直近の1週間では10万人あたり約0.5と、昨年の夏以降で最も低い水準で推移しているとされています。また、新規感染者数の減少に伴い、療養者数、重症者数や死亡者数も減少が続いており、実効再生産数も首都圏で0.80、関西圏で0.72と感染規模の縮小傾向にあることは明らかだということです。
一方、南アフリカからWHOに初めて報告された新たな変異株(オミクロン株)は既に欧州各国などでも検出されており、世界的な感染の拡大が懸念されています。政府は引き続きWHOや諸外国の動向等の情報を収集・分析するとともに、入国制限などの水際対策を進めるとしていますが、クリスマスや年末年始の消費拡大期を前に、第6波といわれるような感染再拡大を懸念する声も大きくなっているようです。
日本におけるワクチンの2回接種完了者は国民の約77%となり、12~19歳でも約71%が2回目の接種を終えています。政府は今後、(基本的に)2回目接種後8か月を経過した人から順次3回目のブースター接種を進めるとしていますが、新株へのワクチンの効果が未だよくわかっていないこともあり、高齢者を中心に感染への不安が広がっているのも事実です。
こうした状況もあり、経済に目を向けてもなかなか「リベンジ消費」に火がついているとは言えない昨今ですが、ウイルスの感染拡大が(一応の)落ち着きを見せている現在の状況は、これまでの対策の効果を振り返り(落ち着いて)次の戦略を練ることができる希少なタイミングといえるかもしれません。
そうした折、12月3日の日本経済新聞の寄稿ページ「Analysis」に、東京大学准教授の仲田泰佑(なかた・たすけ)氏が「対コロナ、各国の価値観影響」と題する興味深い論考を掲載しているので、備忘の意味で概要を残しておきたいと思います。
仲田氏は自身の研究を踏まえ、「標準的な疫学モデルに経済活動を追加して様々な分析をすると、感染症対策と経済は単純なトレードオフ(相反)の関係にはないことが見えてくる」とこの論考で指摘しています。
例えば、ワクチン接種が始まる以前の緊急事態宣言の解除基準を分析すると、基準人数が高い(つまり、ぎりぎりまで宣言を我慢する)と、短期的には経済への影響は小さくなる。しかし、解除後の感染リバウンドが起きやすくなれば再度宣言を発令せねばならず、中長期的には必ずしも経済にとって良いわけではないと氏はしています。
逆に、宣言を長く続けて感染をある程度抑えると、短期的には経済にとって大変だが、ワクチン接種までの時間を稼げる。すると、累計死者数を減少させられるだけでなく再度の宣言発令リスクを減らせるため、中長期的には必ずしも経済にとってマイナスとはならないということです。
また、ワクチン接種後の「感染と経済の関係」を分析することで、「(ワクチンが一定程度行き渡った後の)感染拡大抑制は、短期的な死者数を減少させる効果はあるが長期的には必ずしも集団免疫獲得までの累計死者数を減らせない」という気づきが得られたと氏は言います。
これは、医療体制を一時的に拡大することで(次の波が大きくても)行動制限をしなくて済むようにすれば、累計死者数を増やさずに経済を促進できる可能性を示唆している。もとより、こうした知見はモデルの中で仮説にすぎないが、中長期の時間軸で見ると、「感染症対策と経済は必ずしもトレードオフの関係にはない」という考え方にもある程度の真実があるというのが氏の指摘するところです。
一方、これまでのコロナ対策についても、「コロナ死者数を1人減少させるためにどの程度の経済的犠牲を払えるか(払ってきたか)」という観点で試算をすると、地域間で大きな違いがあることが見えてくると、この論考で氏は説明しています。
新型コロナ対策のコストを死者数で割ると、日本は約20億円、オーストラリアは約10億円で、米国の約1億円、英国の約0.5億円よりもかなり高いと氏は言います。さらに日本国内の地域間でも大きな違いがあり、東京都・大阪府では約5億円だが、鳥取・島根両県では500億円以上に及ぶということです。
冷酷非情な試算に見えるかもしれないが、仮に1世帯の年収が500万円とすると、(これは)コロナによる死者数を1人減らすために、東京・大阪では年収約100年分、鳥取・島根では1万年分以上の犠牲を払ってもよいという判断があったということになる。(「目前の危機」には何らかの対応をせざるを得なかったとしても)毎年約130万人が、コロナ以外の病気や事故、自殺などの様々な理由で亡くなっている現実を考えれば、このコストの妥当性を冷静に見つめなおす必要もあるのではないかということでしょう。
少なくとも、こうしたコストを、コロナ以外の原因による死者数を1人減らすためにどの程度の犠牲を払ってきたか(払ってもよいと考えるか)と比較すると、日本の一部地域ではいかに「コロナ死者数の減少」の価値(コスト)が高かったかがわかる。そして、日本人のこうした価値観を所与のものとすれば、今後の日本の社会経済がコロナ前の水準に戻るには、(他国と比べて)相対的に時間がかかることが予想されるというのが氏の見解です。
(欧米諸国での消費回復が進む中)日本の一部サービス産業はコロナ前の状態には完全に戻れないかもしれない。婚姻率・出生率の低下が中長期化するかもしれないし、教育・文化の国際交流の回復にも時間がかかるかもしれないと氏は言います。
1年半以上、人と人とのつながりが抑制された負の影響は既に多岐にわたっている。例えば自殺者については、(私たちの試算では)2021年9月末までに約4400人の方々がコロナ危機の影響で自ら命を絶っている。超過自殺者には若い世代が多く、20代の女性が約700人で最も多いということです。
ほかにも長期の行動制限の社会への負の影響は多方面に及ぶと推測するが、こうした感染拡大対策が及ぼしてきた社会への影響(=社会へのコスト)については、コロナ禍の下で驚くほどに報道されてこなかったと氏は指摘しています。
コロナ感染の危機をあおり政府の無策を糾弾する(テレビを中心とした)メディアには、目の前の感染者数の増加、医療崩壊、PCR検査、ワクチン接種などの視聴者の耳目を集めるニュースしか目に入らなかった。また、視聴者自身もあふれるコロナ情報の波にのまれ、その他の問題に目がいかなかったということでしょうか。
いずれにしても、感染症が少し落ち着きを見せている今の時間は、コロナによる社会への影響を最小化するための合理的な対策ばかりでなく、私たちの社会が抱える問題が新型コロナ感染症だけではないことや、リスクに応じたコストの配分を(それなりに)冷静に考えられる環境にあると言えるかもしれません。
これから先、長く付き合うことになるだろうコロナへの感染のリスクとどう向き合うか。将来再びパンデミック(世界的大流行)が起きた場合、同じように対応したいかどうか。「そうした問いに想いをはせる際、本稿を参考にしていただけると幸甚である」とこの論考を結ぶ仲田氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。
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