MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

♯380 ポスト資本主義

2015年07月20日 | 社会・経済


 「資本主義」の未来に関する、やや観念的なお話です。

 2013年にフランスで刊行され世界的なベストセラーとなった経済書『21世紀の資本』において、著者のトマ・ピケティ氏は、欧米であれ日本であれ、先進国における人々の間の経済的な不平等は特に1970年代以降急激に拡大しつつあると指摘しています。

 アメリカの場合、トップ10%の層が全体の70%の資本を保有しており、それに続く40%の中間層が25%、そして残りの僅か5%を50%の人たちが分け合っているとされています。また、この30年間でアメリカが達成した成長の7割余りが、上位10%の人たちの手に渡っているという指摘もあります。

来日したピケティ氏へのインタビューによれば、今後人口減少が続く日本では、低い成長率や資産の相続によって、富の集中や格差拡大がさらに加速する恐れがあるということです。

 一握りの人々が資本を独占的に保有していることが、現代の格差を生み出しているとピケティ氏は言います。こうした格差があまりに大きくなると、やがて社会の流動性を失わせ、経済成長にとって有益でないばかりか、社会の土台である民主主義をも脅かしかねないということです。

 固定化した格差は、政治的な発言力や影響力において極端な不公平さを招くことに繋がり、中でもナショナリズムの台頭は、格差が引き起こす最もネガティブな政治問題のひとつだろうとピケティ氏は指摘しています。

 グローバル資本主義を基調とした世界経済の再編が進む中で、こうした格差とその固定化の問題が、資本主義の持つ根本的(で致命的)なウィークポイントとして大きくクローズアップされるようになりました。特に先進国において様々な格差に直面する人々の間に、「資本主義」というシステムそのものへの疑念が急激に湧きあがりつつある状況にあると言えるかもしれません。

 こうした状況を踏まえ、6月8日の「日経BPnet」では、一橋大学大学院教授の楠木 健(くすのき・けん)氏が、『資本主義に寿命はあるのか? 』と題する興味深い論評を掲載しています。

 楠木氏はこの論評で、この世のあらゆる「主義」や「システム」に寿命があったように、資本主義にもいつかは「終わり」が来ることは間違いないとしています。

 確かに、資本主義が発達した現代社会においても、「競争」という概念からは外れた「贈与」や「互助」といった非資本主義的なものが重要な意味を持って存在しています。また、資本主義だからといって、全ての経済活動を自由競争に任せているわけではなく、富の再分配や独占の禁止などにより、既に社会は純粋な資本主義の理念から少しずつ外れつつあると言えるのかもしれません。

 楠木氏はこの論評において、歴史上に現れた人間社会のガバナンスメカニズムは、実は三つしかないと指摘しています。

 氏は、その中でも一番初めに現れたのが「伝統」だと説明しています。「伝統」というのは、前の人がそうやっていたからそうやるのが良いだろうということ。例えば、弥生時代(もっと前もそうだったでしょうが)の社会を動かしていたのは、この「伝統」というメカニズムだったということです。

 次に出てきたのが「指令」だと氏は述べています。特定の人に権限・権力・権威を集中させ、その人が決定して統一的に指示を出す。(実際の指揮命令系統はもっと複雑だったのでしょうが)少なくとも外形上は一人の「権威」のもとに世の中が動くという、中世の王様のようなスタイルを指すものです。

 そして、三番目に出てきたのが、(聞きなれない言葉ですが)「レッセフェール」というものだということです。「レッセフェール」(仏:laissez-faire=自由放任主義)とは、一人ひとりが「自らの判断で動きなさい」ということだと楠木氏は言います。

 判断の規準になるのは「市場メカニズム」や「価格メカニズム」であり、みんなが自分の利益を追求するとそれが市場での取引を通じて社会全体の効率につながる。これがとんでもない大発明となり、このシステムによって「資本主義」の世の中が動くようになったと楠木氏は説明しています。

 さて、それでは、レッセフェールの「その次」に来る(であろう)四つめの経済システムのガバナンスメカニズムは、一体どのようなものになるのでしょうか?

 今ある「資本主義」というものを改めて考えてみた時、その最初(動機)と最後(目的)の部分が明らかに間違っていると楠木氏は考えています。氏は、人間が行動を起こす「動機」というのは恐らくはカネのためではないと言います。また、「目的」について言えば、結果的に「カネが儲かる」というのも、人間の本性に反しているのではないかということです。

 それでも、なぜ資本主義が成立してこれまで長きにわたって続いてきたのかと言えば、資本主義は途中の部分がものすごくよくできているからだというのが、この論評における楠木氏の見解です。

 資本主義は、この「途中」に当たる資源配分のメカニズムが特に優れている。価格とか市場という仕組みが無かったら、例えば原発の除染にあんなにリソースがすばやく投入されるわけがない。世の中全体のことを考えて、人類の危機だからみんなの力を合わせようとしても、こんなに早く物事は進まなかったはず。資本主義の市場メカニズムというものには、様々な意志を持つ人々を、ひとつの「目的」に向けそれぞれ効率的に動かす力があるということです。

 このように「途中がうまくできている」ため、現実的に資本主義は相当先まで続くだろうと楠木氏は考えています。具体的には100年よりももっと先。

 しかし、今から1000年後には、ほぼ間違いなく世界の経済システムは「社会主義」になっているというのが、この論評で示された氏の認識です。そのときに社会主義を構成しているいろいろな要件というのは、現代人が想像できるようなものではないかもしれない。それでも1000年くらいたてば様々な課題が技術的に克服されていて、社会主義が「実稼働」しているのではないかと楠木氏は考えています。

 資本主義の中に社会主義が徐々に徐々に盛り込まれて行って、ある閾値を超えたときに、結果として資本主義とは異質なものに形を変えていく。そういった入れ替わりのプロセスが、人間の社会である以上は恐らくはいくつも繰り返されていくはずだと氏は述べています。

 「動機」と「目的」に関する資本主義の錯誤が改められ、そうした中で格差の固定化というウィークポイントが改められる日が来るのかどうか。人間の英知が、理性によって「社会」をコントロールできるガバナンスを見つける日が来るのかどうか。

 「それをこの目で見てみたいものだと思いますが、それはすでに50歳になっている僕には叶いません。」と笑って見せる今回の楠木氏の論評を、氏と同じ世代の私も大変興味深く読んだところです。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿