MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯137 呪いの時代

2014年03月17日 | 本と雑誌

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 リベラル系ニュースサイトとして知られる「ハフィントン・ポスト」の日本語版に、「呪いは犯罪か?慶大生のLINE自殺教唆事件について」と題するコラムが紹介されていました。「AERA」などでも活躍するライターの小野美由紀さんのブログ「None.」から転載されたものだそうです。

 このコラムで取り上げられているのは、昨年11月に都内で起こった以下の事件です。

 時通信社の配信によれば、交際中の女性に「死ねよ」などと繰り返しメールを送って自殺させたとして、警視庁三田署は「自殺教唆」の疑いで慶応大法学部3年の容疑者Aを逮捕したとしています。

 逮捕容疑は2013年11月8日午後6~8時ごろ、交際中だった同学年の女性に、「お願いだから死んでくれ」「手首を切るより飛び降りれば死ねる」などと自殺を唆すメールを、スマートフォンの無料通信アプリ「LINE(ライン)」を使い繰り返し送信した疑いです。女性は翌9日早朝、東京都港区芝の自宅マンション8階から飛び降り自殺しており、容疑者は警察の調べに対し大筋で容疑を認めているということでした。

 しかし、この報道ののち、容疑者であった慶應大学生は検察側の勾留(延長)請求が東京地裁に却下されたことから、逮捕から丸3日目の22日夜に釈放されています。この経過に対し、本年2月24日付の「週刊ゲンダイ」は、周辺への取材の結果からこう報じています。

 11月7日、同じ慶大生で交際していたB子さん(当時21)から別れ話を切り出されたAは、翌8日、「ライン」で「お願いだから死んでくれ」「飛び降りてくれ」などのメッセージを送信。翌9日早朝、A子さんは自宅マンションの8階から飛び降り自殺した。これではどうみてもAがフラれた腹いせに自殺をそそのかしたかのように見える。」

 実際のところ、2人は大学のサークルで知り合ったようで、一昨年秋ごろから付き合い始めたようだ。もともとB子さんは精神的に不安定で、交際中も自傷行為を繰り返しており、彼女のツイッターには自らの手首を写した写真もたびたびアップされている。Aも最初のうちは「そういう女性の方がかわいい」などと周囲に話していたようだが、だんだん彼女が重荷に感じるようになっていったらしい。」

 さて、この事件に対し小野さんは、「呪い」を「言葉によって相手の生命力を奪い、身体的なパフォーマンスを低下させる行為全般」と定義するなら、彼の行為は「呪い」に間違いない。しかし、人を呪うこと自体、果たして犯罪だろうか?…とコメントを切り出しています。

 もちろん、犯罪であるはずはない。小野さんは続けます。「名誉毀損」および「脅迫」という形で訴訟をする事はできても、それは受け手が「そう感じた」という、リアクションがあって初めて成り立つもので、相手の解釈を待たずして「言葉をかける」というその行為のみを罪に問うことはできない。

 それでも…「呪いの効力というのは、思いのほか大きい。」と小野さんは言います。特に、LINEやインターネットなどのツールによって、身体性を失った言葉だけが増幅され、力を持ち、相手に光の早さで突き刺さるようになってしまった現代においては、「ネットという増幅装置によって、(相手を呪う)言葉の強さはかけ算的に増幅している」のではないかというものです。

 さらに、小野さんの指摘は続きます。

 「ともすれば親指で画面をフリックするすべらかな勢いに乗っかって、あるいは画面がつるりとスクロールするスピードに便乗して、あるいはLINEが届くあのはじける速度に背を押されて、うっかり本人にまで届けてしまう人もいる。他人を呪うことは、呪いに対する感受性が鈍じた現代、呪いを避ける瞬発力を削がれた現代においてことのほか簡単だ。そして我々は気づかぬうちに誰かが誰かにかけた呪いをバトン渡しのように拡散して大波を作ってしまう。」

 しかし、そうした現代だからこそ、「呪い」を自覚することは案外難しいと小野さんは言います。例えばもし、自殺してしまった女子大生に男子生徒が直接会って「あの言葉」を言っっていたとしたらどうだっただろうか?彼女にも彼に対抗するだけの身体的な強度があったのではないか…と、そういう疑問です。

 ネット世論に拡散する「呪い」の語り口について、神戸女学院名誉教授の内田 樹 氏は、著書「呪いの時代」において、この問題の本質は「「私」の自尊感情の充足が最終戦的に目指されているところにある」と看破しています。

 日本の社会において「呪い」がこれほどまでに瀰漫したのは、人々が自尊感情を満たされることを過剰に求め始めたから…。ネットユーザーから発せられる数々の「呪いの言葉」は、高い自己評価と低い外部評価の落差を埋めるために社会のルール自体を「アンフェア」であると見なし、他者を呪うことで自らの万能感を得ていこうとする自己防衛的な反応ではないかというものです。

 こうした「呪いの時代」をどう生き延びたらいいのか。この問いに対し、内田氏は「呪いを解除する方法は祝福しかない」と答えています。

 自分の弱さや愚かさや邪悪さを含め、自分を受け入れ、自分を抱きしめ、自分を愛すること。利己的で攻撃的な振る舞いが増えたのは、人々があまりに自分を愛しているからではない。むしろ「愛する」ということがどういうことかを忘れてしまったところにあると内田氏は言います。

 他者を受け入れ「祝福」し、同時に自らを受け入れ愛すること。こうしたシンプルな行為が難しくなったこの時代。他者の気持ちに寄り添い、共感してその成果を言祝ぐこと。そして、呪う自分を自覚し自らの存在を祝福により確かなものしていくことが、呪いの言葉の力をそぎ、呪いに対抗する身体強度を高める唯一の方法ということになるのでしょうか。




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