東京電力では、厳しい暑さの影響で管内の電力使用率が99%に達する見通しとなったことから、6月27日以降連続して「電力需給逼迫注意報」を発し、家庭や企業、自治体などに対しに節電を要請しています。
同社によれば、冷房の使用などにより日中の電力消費が大幅に伸びることが予想される一方で、原子力発電所の再稼働は進んでおらず、火力発電所の運転再開による供給力改善を見込んでも電力需給は厳しい状況が続いているということです。
特に、最大で総電力供給量の20%占めるとも言われる(手軽な自然エネルギーとして普及が進む)太陽光発電の発電量が急減する夕方の3~6時ころに最も(電源喪失の)リスクが高まるとされており、経済産業省では「熱中症に注意しつつ、できる限りの節電を」と呼び掛けています。
地球温暖化問題の深刻さが叫ばれる中、再生可能エネルギーへの早期の転換が求められている昨今ですが、やはり(原子力の活用なども含めた)一定量のベース電源の確保は(少なくとも現状では)避けては通れないということでしょうか。
ウクライナ情勢や円安基調が続く昨今の為替相場の影響などから電気料金が記録的に高い水準となっていることを踏まえ、7月の参議院選挙の候補者を対象にしたNHKのアンケートでは、各候補者に原子力発電への考え方を聞いています。
これによれば、原子力発電への依存度を今後「高めるべき」とした候補者は21%、「今の程度でよい」が15%である一方で、「下げるべき」は28%、「ゼロにすべき」は26%と、過半が原子力の活用に否定的であることが判ります。
政党別では、国民民主党とNHK党では「高めるべき」が最も多く、自民党は「今の程度でよい」と「高めるべき」がほぼ均衡。一方、公明党と日本維新の会は「下げるべき」が最も多く、立憲民主党は「ゼロにすべき」がおよそ半数、共産党と社民党は全員が「ゼロにすべき」と回答したとされています。
因みに、今後の電源構成について、共産党、れいわ新選組、社民党では「すべての電源を再エネでまかなうべき」が8割から9割を占めているということなので、(少なくとも現状を見る限り)その道のりはかなり遠いと言わざるを得ません。
こうして長期的リスクと短期的リスクの狭間でエネルギー需給の綱渡りが続く中、6月20日の『週刊プレイボーイ』誌に、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が、「電気料金の大幅な値上げで東日本大震災以来の電力危機は解決する」と題する一文を寄せているのが目に留まりました。
日本の電力不足が深刻化し、「東日本大震災以来の電力危機」(経済産業省幹部)とされる状況になっている。政府は、東北・東京・中部の各エリアの家庭や企業に対し、エアコンの室温を28度にする、不要な照明は消す、冷蔵庫の設定を「強」から「中」にするなど、具体的な節電方法を呼び掛けていると氏はこのコラムの冒頭に綴っています。
もっとも、来るべき冬の状況はさらに厳しく、厳冬の場合は東京電力管内の予備率がマイナス0.6%まで下がる可能性があると氏は言います。その場合、東電を含めた7電力の予備率を3%にするには350万キロワットが必要で、約110万世帯で計画停電が起きかねないというのが氏の懸念するところです。
ここで仮にロシアからの液化天然ガス(LNG)の輸入がすべて止まったりすると、さらに400万キロワットの火力が動かなくなるとの試算もあり、大きな社会的混乱が予想されると氏は話しています。
なぜこんなことになったかというと、近年の「脱炭素」の流れで火力発電所の休廃止が進んでいることに加え、原子力発電所の再稼働が遅れているから。実際、原子力規制委員会の安全審査を通過した17基のうち、稼働できているのは(わずかに)4基に過ぎないということです。
残る13基の発電能力は合計で1300万キロワットに達するので、(万が一の場合にも)計算上は不足分を十分賄える。このため、自民党内には「原発をすぐに動かせ」との声もあるが、「地元の同意が得られない」「定期検査中」「テロ対策工事中」などの理由で、今夏はもちろん冬までの再稼働も難しそうだというのが氏の指摘するところです。
脱炭素や環境保護の流れを受け、地球温暖化の「元凶」である火力発電を減らすとともに原子力発電もフェードアウトさせ、足りない分は自然エネルギーで補うというのがこれまでの政府の考え方。しかし、この危機的事態では太陽光や風力を計算に入れることもできず、すべでは机上の空論だったというのが氏の認識です。
そうなると、ひたすら「節電のお願い」で乗り切るしかないが、(コロナ禍で明らかになったように)こうした対応は、必然的に深刻なモラルハザードを引き起こすと氏はしています。
皆が一所懸命節電しているなら、自分だけはクーラーや暖房を使って快適に過ごした方がいいに決まっている。日本社会では問題が起きるたびに「根性論」が唱えられるが、同調警察による秩序維持はいい加減終わりにして、ルールにのっとった公正な対策を考えなくてはならないというのが氏の見解です。
そこで、電力需要を減らすためのもっとも効率的な方法として浮かぶのは、電気料金を引き上げることだと氏はこのコラムで指摘しています。
需要と供給の法則によって、供給が減れば価格が上がり、需要も適正な水準に落ち着くのは自明のこと。電気料金が大幅に値上げされれば、家庭も企業も節電に真剣になる。もちろん、電気料金の高騰による社会や経済のへの負担は大きくなるだろう。しかし、猛暑でクーラーが使えず熱中症で死亡したり、厳冬で暖房がなく凍死する人が続出するよりずっとマシだということです。
さて、そうは言っても真面目な日本人のこと。電気料金が高騰すれば、エアコンを入れずに熱中症になるお年寄りや、電気を止められ凍死する貧困家庭の存在などがメディアに取り上げられ、厳しく糾弾される事態なども起こり得るでしょう。
一方、電力ひっ迫といった緊急事態を前に、基幹的な電源構成をこれから大きく変更するというのも(今ひとつ)現実的とは思えません。結局のところ、今の日本にできるは(一義的には)「節電」であり、生活や生産に要する「エネルギーの総量を減らしていく」という地道な作業だということになるでしょう。
一度は「痛い目」に合わないとわからない。目指すべき「理想」の姿は姿として、そこにたどり着くまでの道のりには、多くの甘受すべき「負担」や「我慢」があることを忘れるわけにはいきません。
いずれにせよ、 「原発廃止」といった(ある種の)「きれいごと」を唱えてきたメディアには、現在のこの事態にどう対処するかを示す重い責任があると橘氏も話しています。例えば(朝日新聞などは)、社説で堂々と「電気料金を倍にせよ」と掲げたらどうかとこの論考を結ぶ橘氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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