新型コロナ感染症の拡大が示した、「環境の変化にシステムが有効に機能し得ない」という日本の地域医療体制のレジリエンスにかかる大きな問題点について、7月6日の日本経済新聞に、津田塾大学教授の伊藤由紀子氏が「適応力高める制度設計を コロナが示した医療の課題」と題する論考を寄せています。
※ なお、内容がかなり専門的なので、言葉が足りずわかりにくいところはご容赦ください。
氏によれば、ここで言う「レジリエンス」とは「自身の自律的な力により環境の変化に柔軟に適応し、悪い状態から回復する能力」のことだということです。
新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、昨年度2020年度の1年間だけで、実に4.6兆円に及ぶ緊急包括支援交付金などの医療機関支援策が講じられた。そのうち20年度末までの交付額の約4割が、新型コロナ患者の受け入れ病床を確保した病院の「空床確保料」として支払われていると氏はこの論考に記しています。
感染拡大前(18年度)の国民医療費は、入院医療費が年16.5兆円で、傷病分類別では国民全体のがんの医療費総額が年4.5兆円だった。それに比べれば、今回、いかに多くの費用が新型コロナの患者の入院先や転院先の病床を確保するために投入されたかがわかると氏は言います。
2020年度の医療費は、受診者の減少から19年度に比べ、4%程度(約1.7兆円)減少すると見込まれている。しかし、この緊急包括支援交付金を含めれば、減少分を数兆円上回る額が既に医療機関に支払われているというのが氏の認識です。
こうした状況を踏まえ、伊藤氏は第1の論点として、これまで医療機関に支出されてきた緊急包括支援交付金が、果たして「病院のレジリエンス」につながったのかという点を挙げています。
交付金が今後数十年の病院の機能改善につながるなら「安い出費」だが、逆にどさくさ紛れの利益配分に終わるだけなら「痛い出費」と言わざるを得ない。そこで氏は、2020年度末までに病床確保や治療体制のために医療機関に交付された緊急包括支援交付金交付額を同時期までの新型コロナ感染者の総患者数で割り込んだ、患者一人当たりの治療体制に要した交付金額を計算しています。
その額は(添付の表のとおり)患者一人当たり全国平均で372万円に及んでいる。軽症者が8割とされる中、空床確保をはじめとした「医療費外」の支出が驚くほど高額であることがわかると氏はしています。
さらに、地域による違いを見ていくと、患者総数の72.3%を占め、病床ひっ迫が顕著であった首都圏や関西などの上位8都府県への交付額が(実は)全体の47.6%にすぎない一方で、(例えば)患者数が少なかった鳥取県では(患者一人当たり)実に5226万円、島根県では3807万円余りに上っている。
こうしたことを考えれば、この交付金が感染拡大地域の医療提供体制を早期に立て直すレジリエンスにつながったとは言えないだろうというのが氏の見解です。
それでは、「どのような政策ならば病院のレジリエンスを高めうるのか?」というのが、氏がこの論考で示する第2の論点です。
レジリエンスとは単なる金銭補償ではなく、医療機関のインセンティブ(意欲)と力を引き出すことと考える。それにはまずインセンティブにマイナスとなる対策をやめるべきだと氏は話しています。
例えば「空床確保料」は、集中治療室(ICU)の1床につき1日当たり30万~44万円が交付されるが、実際に患者が入院すると空床時に匹敵する診療報酬は見込めないうえ、治療体制上のコストも余計にかかってくる。
感染拡大局面で実際に患者を受け入れる病院ほど現場の人的負担が増し(なおかつ)収入減にすらなる一方で、めったに感染者が出ない地域の医療機関には(空床を維持するだけで)手厚い交付金が交付されるという、まっとうに治療にあたるほど損をする仕組みになっているということです。
日本は人口当たり病院数も病床数も世界トップクラスだが、一病院当たりのスタッフは手薄である。そうした中でこのような制度を維持することは、(いざ感染症患者が出ると皆が門戸を閉ざすような)火事の時に現場から逃げる消防隊を平時から準備するようなものだというのが氏の指摘するところです。
さて、それでは、各医療機関の(コロナ患者受け入れの)インセンティブを上げるためにはどうしたらよいのか。
2019年の9月、厚労省は「急性期」を標榜する公立・公的1455病院の診療実績を示し話題になりましたが、氏が提案するのは、民間で急性期を標榜する病院を含むすべての病院で、同様の「診療実績」の開示を試みるべきだということです。
効率であれ民営であれ、医療機関それぞれが「現状を変えたい」という気持ちを持つことが必要であり、詳細な診療データを通じて(医療機能の)「要・不要」を議論すべきだと氏は言います。
急性期医療の日々の実態を公開できる病院には平時の報酬単価を引き上げる代わりに、不採算分野の医療や平時からの人材育成を義務化する。また日々のデータは適切に市民に開示しいざという時に頼れる病院を可視化すれば、命を預ける当事者が右往左往する状況は減らせるだろうということです。
一方、急性期医療の体制が十分でない病院はどうするべきなのか。答えは単純で、日常的に健康相談ができる病院を目指せばよいと氏はしています。
患者の生きる希望を引き出すのが健康を支える医療だとすれば、病床に隔離して専門的・集中的に治療するばかりが最善の医療とは限らない。旅行サービスなどと連携し、静養先での体調管理を支える医療・健康サービスなども含め、「病床なき成長モデル」を医療が工夫できる余地は大きいとこの論考を結ぶ伊藤氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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