MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯190 他人を攻撃せずにはいられない人

2014年07月01日 | 本と雑誌

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 京都大学非常勤講師で精神科医の片田珠美(かただ・たまみ)氏の近著「他人を攻撃せずにはいられない人」(PHP新書)を、先日、書店の店頭で手に取りました。

 片田氏はこの著書の中で、世の中には他人を攻撃せずにはいられない攻撃欲求の強い性向を持った人が一定の割合で(それも少なからず)存在していると、はっきり「明言」しています。こういう人が一人いるだけで、様々に精神的に健康を損なった症状を示す被害者が周囲に生まれる。片田氏はその臨床経験において、そうした「被害」の実態をつぶさに観察してきたということです。

 攻撃性の強い人達の「攻撃欲求」の根底に潜んでいるのは、大抵の場合「支配欲」というものだと片田氏は言います。

 こうした人々は、常に「相手を思い通りに支配したい」「操作したい」という欲望を抱いているのだが、実はこのような欲望を当の本人が意識しているとは限らない。相手の人格を破壊するようなことをしておきながら、「本人のためにやっている」「愛情からやっている」と思い込んでいる「上司」や「親」や「配偶者」、「恋人」などが、世の中には数多く存在しているというのが片田氏がこれまでの臨床経験から得た知見です。

 攻撃欲求の強い人が欲しているのは、基本的に「破壊」に過ぎないというのが片山氏の基本的な認識です。他の誰かが上手くいっているのが許せない。他人の幸福に堪えられず、自らの不安や自信のなさを覆い隠すために、(本人の自覚の有無にかかわらず)強い怒りや敵意の衝動に突き動かされて相手の状態を壊そうとするのが彼等の本質だということです。

 片田氏によれば、こうした人たちは幼少期の体験などを経て(何の疑いもなく)このような人格を身につけていることが多く、さらに成長段階において他者をストレスによってコントロールするための様々な技術(手法)を学習しているので、時として極めて巧妙に相手を「不安」や「混乱」に陥れ、相手の自信や価値観を壊しながら精神的に支配していくということです。

 実はこうした人たちと一緒にいると気が付く「独特」のパターンがあると片田氏はこの著書で述べています。話を聞いていて何となく疲れて重苦しい気分になる。誰かの言動をけなして無価値化し自らの能力や成果を誇示するする傾向が強いので、徒労感や空虚感を場の空気にもたらす。また、彼らは相手に「罪悪感」を抱かせることを攻撃のひとつの手法としていることが多く、気が付けば相手はこの罪悪感にからめとられて精神的に追い込まれてしまうということです。

 片田氏は、このような攻撃欲求が強い人が身近にいると「戸惑い」「混乱する」原因には、実は彼らが一体何を欲しているのかその「欲望」が見えにくいことがあると言います。

 実際彼等は人間関係を「上・下」の関係として捉えることしかできず、自分より「下」と見た人間を服従させることに最も大きな目的を置いているということです。一見、意味がありそうなこういう人たちの所作は、実は何か深淵な目的を達成するために相手を誘導しているわけではなく、単純に相手を支配し自分の思い通りになる居心地のよい環境を作り出すことだけを目的にしたものである。そしてだからこそ、「虚を突かれた」相手を効果的に不安に陥れることになるということです。

 さらに良くないことに、このような攻撃欲求の強い人が一人いると集団全体に重苦しい雰囲気や沈滞ムードが漂い、もめごとや不和が絶えないことからメンバーぞれぞれが疲弊していく可能性が高いという指摘もあります。場合によっては、メンバーの中で生じたストレスが同じ集団の他のメンバーに向かい、被害者が加害者に転じる場合などもある。混乱の中で目標を失った集団はストレッサーの「気分」を窺うことにエネルギーの大半を奪われ、集団のパフォーマンスを著しく低下させるというものです。

 さて、こうした攻撃欲求の強い人々に対し、私たちはどのように向き合えば良いのか。一体、彼らに「付ける薬」はあるのかという問題です。

 片田氏はその具体的な処方箋のひとつとして、まず何よりも冷静になって「対象を観察すること」を挙げています。観察を続けていくうちに、少しずつ相手の矛盾や欺瞞に満ちた言動、恐怖を与えるための威嚇や虚勢などが見えてくる。つまり、圧迫を受けている者が自分自身が置かれた状況を少しでも客観的に見つめ直すことにより、精神的なパニック状態から抜け出すことがまず最初に必要になるという指摘です。

 そうした視点を持つことができたなら、次に行うべきことは、そうした相手と距離を置くことだと片田氏は述べています。

 そして、(ここからが大切な所なのですが)「いつかはちゃんとした話し合いができるようになるだろうという淡い期待は早めに捨てたほうが良い」、「攻撃欲求の強い人は変わらない可能性が高い」というのが片田氏の見解です。つまり、(氏の言うところの)「根性曲がりにつける薬はない…」というのが、氏の示したこの問題に関するある意味「救いのない」現実ということになります。

 いくら意を尽くして説明しても、感情に訴えても、攻撃欲求の強い人が他人の痛みを理解してくれることはまずあり得ない。こうした個人が持つ「コミュニケーション障害」は、そのような感情的、理論的な手法で矯正されるような次元の問題ではないというのが、精神科医としての氏が下した結論ということになります。

 自らのコンプレックスや自信のなさが不安や疑い深さに繋がり、こうした感情から来るストレスを自分よりも「弱い」と感じた者への攻撃欲求として昇華させることを常とする人々は実際どこにでも存在する。そして、そうした「はた迷惑」な隣人と暮らしていくための知恵は、結局「できるだけ関わらない」ようにするしかないとする片田氏のプロとしての指摘を、人間社会の理不尽さを端的に表すものとして私も大変興味深く読みました。

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