「よい子のみなさん、入っちゃだめよー、このトンネルは中世に、つながってるんだからねー。よーく見ていてご覧なさい。時々向こうから、こちらの様子をうかがってる中世の人がいますから」
金沢文庫にて。
『中世の隧道(史跡・称名寺)
この隧道(トンネル)は、中世につくられたものです。
称名寺の伽藍が完成した元亨3年(1323)に描かれた「称名寺絵図」には、阿弥陀堂のうしろの山麓に両開きの扉があり、その洞門の位置に一致します。
江戸時代には、隧道の向こう側には「文庫がやつ」という地名があったことが記録されており、鎌倉時代の金沢文庫の遺跡の有力な候補地です。県立金沢文庫の建設直前の発掘調査では、この隧道に続く中世の道路が検出されております。
なお、東側は風化が進んでいますが、西側は比較的旧状を残しており、扉の支柱の痕跡も見られます。この隧道は、国指定の史跡称名寺と金沢文庫をつなぐ重要な遺跡で、永久に文化財として保存されます』
金沢文庫にて。
『中世の隧道(史跡・称名寺)
この隧道(トンネル)は、中世につくられたものです。
称名寺の伽藍が完成した元亨3年(1323)に描かれた「称名寺絵図」には、阿弥陀堂のうしろの山麓に両開きの扉があり、その洞門の位置に一致します。
江戸時代には、隧道の向こう側には「文庫がやつ」という地名があったことが記録されており、鎌倉時代の金沢文庫の遺跡の有力な候補地です。県立金沢文庫の建設直前の発掘調査では、この隧道に続く中世の道路が検出されております。
なお、東側は風化が進んでいますが、西側は比較的旧状を残しており、扉の支柱の痕跡も見られます。この隧道は、国指定の史跡称名寺と金沢文庫をつなぐ重要な遺跡で、永久に文化財として保存されます』