MoiMoi。のココデハナイ ドコカ。               

「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

あの日の事は忘れない。

2010-12-09 | MUSIC・MOVIE・BOOK・ART
ベイクォーターの駐輪場(3時間無料)に自転車入れて、そごうに向かっている途中、携帯持っていない事に気がついた。

連絡待ちが2件ほどあったので、そごうで商品予約した後一旦帰宅。

みなとみらい方面行く用事があったが意欲無くなり携帯持って図書館向かい予約した本2冊ゲット。

夢、疾る ~村松栄紀 あるレーシングドライバーの軌跡』一気に読む。

レース関係の仕事はさほど長い期間やってた訳ではないけど(F-1 F-3000)思い出たくさんある。

村松がF-3000にデビューした年、同じくこの年デビューした6人(村松、影山、服部、黒沢、金石、佐藤)のレーサーを1年間密着取材した。(雑誌,オートテクニック[山海堂])


村松は鈴鹿の第1戦(1990年3月3、4日)で8位。ルーキーの中で1番。(同じ日にF-3にも参戦。3位)

その後、グループAのレース(3月17、18日)に参戦した後、3月23日 冨士スピードウェイでF-3000のテスト走行中にフェンスに激突死亡した。

その日、オイラがバスルームでフィルム現像している時、編集者から電話がかかってきた。

ちょうど定着液を撹拌している最中だったので途中で作業を止める訳にはいかず少し待っててもらって電話に出た。

沈痛な声で「村松が冨士でテスト中に事故って亡くなりました」

24歳、身長182センチのイケメンレーサー。オイラは彼の笑顔が好きだった。

オイラは村松が事故った冨士スピードウェイの100Rにレースの無い日に編集者と一緒に行った。


この仕事は被写体が死ぬ事がある。

レース当日、オイラの被写体(レーサー)が2度とピットに戻って来ない事があるかもしれない。

今撮ってる写真が最後になるかもしれないと思って撮影していた。

村松の葬儀(青山斎場)はオイラが事務所に頼まれ撮影した。

彼をずーっと撮ってたカメラマンは辛くて撮れないと言う事だった。(この本にも出てくる人だと思う)

村松はいなくなったがルーキー密着取材はその後も続いた。

オイラと一緒に取材したライターは,元朝日新聞記者の吉井妙子さん。

「オートテクニック」(すでに廃刊)を出してた出版社「山海堂」も2007年に倒産した。(偶然、横浜引っ越してきて知った)

さて今日は何を被写体に映像撮ろーか。
































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