本当の自分について考えてます。
愛の存在としての自分、みたいな。
国道沿いの古い教会の入口に、
「神は愛なり」
と、大きく書かれています。
若かりし頃、それをみて「神は飯島愛なり」
と言って友人とケラケラ笑ったりしました。
バカですよね。奇跡のワークブックを
やるようになったら確かにその通りだ
と今は思えます。
が、何もそんな大きな文字で
書くことないのに、とも思います。
それはいいとして、
本当の自分で生きたら怒りとは無縁。
子育てでイライラするのは、
「ちゃんと育てなきゃ」と思うからで。
万人には万人の「ちゃんと育てなきゃ」の
理由があって、
(自分が)将来困らないように
(子どもが)将来困らないように
親にとやかく言われたくない
親に褒められたい、認められたい
将来、子どもにとやかく言われたくない
嫁ぎ先に文句言われないように
夫から責められたくない
社会から責められたくない
社会から賞賛されたい・・・
その理由の背後に必ず誰かが隠れてます。
もしその理由がなくなったら
絶対幸せだと思うのですが。
真っ只中にいると
なかなか無理な話ですよね。
父親がアパートに来るときは
落ち着きません。何か言われそうで。
盆・正月もそうです。夫の実家へ行くたび
鎧兜を装備するイメージで出向きます。
ずっと誰かに何かを言われる緊張感が
あったのですが、本当に年を取ったのでしょうね
それがなくなった気がするのです。
いつもどこかに電話を入れるときは
緊張して声が震え、うまくできなかったときは
3日くらい落ち込んで、その場所には一生
行くまいと決意したり、もっと練習しなきゃ
と自分を追い詰めていましたが、
昨日、幼稚園に電話をかけているときに
うまく喋れないのはいつもどおりなんですが
相手の気分を害さないように、
と思うのではなく、自分が怒らないように、
自分に無理させないように喋ったら
とてもラクでした。これは、背後に誰も
いない状態だろうと思いました。
きっとこれが、本当の自分でしょう。
先日会った友人が、
とても親しみやすい友人ですが、
職場でたくさん文句を言ってると
言ってました。おそらく、私達と
会ったあと、私の文句も言ってる
だろうと思った。
それでもいいと思った。
私も文句言わないからあなたも
文句言わないでねという関係は大変だ。
自分が怒らないように生きることが
(アンガーマネジメントの話ではありません)
愛を生きることなのかもしれない。
これに関してはどう書いたって
誤解が生じる気がします。
1年前、いや1週間の私が読んだら、
「はいはい、そんなことわかってますよお!!」
という具合になると思う。