奇跡講座ワークブック編のことを書こうと思いつつ、いつも脱線するのは
やってないからではないです。全部の文章にハッとさせられるのですが、
結局全部同じ意味で、学ぶことはひとつ、なのに、これまでの考えをひっくり
返すことなので物凄く、ハードで忙しくて責任重大です。
ハタからみれば、生まれて生きて死ぬ。
そしてなるべく病気にはなりたくない、死にたくない、というのは、
他人に迷惑かけたくない、自分が哀れな人間と思われたくない、
苦しみたくない。
逆に病気になりたい、死にたい人は、この社会が苦しい、生きてることが苦しい。
どちらにせよ、同じ。
余命を告げられても死なない人、ささいなことでほんとに死ぬ人、
自死でほんとに死ぬ人/死なない人、交通事故で死ぬ人/大怪我する人/
無傷の人・・・
全て心の在り方かなぁと思う。知らない。知る由もない。
でも、奇跡講座ワークブック編を学習すると矛盾がない。
今見えてないものを信じるか、見えているものを信じるか。
しかし、その肉体の結果は、やはりそれとは無関係なので、
その死について議論することさえも無意味であり、そもそも
不可能、なんです。よね?(知らんし
私の中途半端な学びによる思考回路は、
幸せな心(健康・経済力・人間関係などに依存せず)
↓
神の心と一致する
↓
この世に未練なし
↓
お迎え(肉体の死)が来る
なので、死んだ人について「この人神さまとひとつになったんだなぁ」
とか、お迎えが来ない私は、「神さまにも要らんと思われてるのかなぁ」
などと、思ってしまう。がしかし、そういうことでもないのだろうなぁ。
この世界のもの(地球、宇宙、目に見えるもの、それについての考え、
思い)と、神さまとは一切関係性がない。関与していない。
しかし、私達の心の中、意識の中、内面にだけ、神さまと一致する場所が
ある。それはひとりにひとつ、皆でひとつ。強く、完璧だが、
弱さや完璧でないものたちのちょっかいや攻撃に無抵抗なため、
常に隠れた状態(隠れないでプリーズ)
とにかくいつも、心だけが幸せであることだけに一生懸命になります。
(ナンバーワンにならなくていい♪w
私は、おそらく、親も何気に長生き、身近な人の死を簡単には
経験させてはもらえない、医者が興味を持つような立派な病気もしない、
社会的立場も要求されない、となると、私のやるべきことは
ひたすら知覚のみ。5感のみ。長いです。これのみでは長過ぎです。
しかし、ネガになっても、本当にみじめなことが起こっても、
自分がつまらなさ過ぎても、退屈でも、心底面白くなくても、
選択することに失敗しまくっても、悪いことをしてしまっても、
娘が泣いても・・・
「不平不満は神さまへの攻撃です」
全ては、神さまの計画どおりにしかならないので
とにかく心だけは幸せでいて、と自分に言い聞かせます。