子育て日記のはずが、気付けば自分探しのブログになってる。
小2、5月。登校はお父さんと途中まで。帰りはひとりで帰ってくる。
帰宅後に公園へ行く場合はなぜか「公園まで迎えに来てね」と言う。
授業参観日、私を見て「やばっ」て顔してた。私がかつて怒りに
任せて言った事、全てを覚えてる顔してた。娘に言ったことは
確かに愚かで、誰に言っても「それはまずいね」と言うと思う。
私が娘に対して、言った言わないに関わらず、こうであって欲しい
と内心思っていることを娘は痛切に感じていて、でも学校に
おかあさんいないから大丈夫って、休んでたら、(おかあさん)いた!
みたいな、そんな顔でした。
先日、デパートでみた、こどもの「ママ~」に対して
「うるさいうるさい」と言ってるママさん。まさに私だと思った。
今となればそれは何アピールだったのだろうと思う。他人からすれば
こどもが可愛くてしょうがないことまでは分かる。
「投影」だ。まさに。自分の心の怒りを、他人も同じように
感じてるはずだという、他人への(間違った)気遣い・・・
そして、その表現が面白いと思ってる!(数年前の私参考)
あたたたたt・・・・もう、本、当に、すみません。
きっと、そのママさんは実際に自分の子供が可愛くって
しょうがないのだろう。自分の子供だけが。
なぜこんな内容になるのかね、子育てブログが。
そう、何を信じてるか。ということを書きたかったのだけど
もう無理だ。信じていることしか教えられないらしいのよ。
「愛」「神」「優しさ」「見過ごす」奇跡講座でおそわったこと
をおしえたいけど、娘の大好きなものと言ったら、
人間の弱さを引き寄せそうなものばかり!「メイク」「ギャル」
「ダンス」「セレブチャンネル」「ポメラニアン」
私は相変わらず娘に子供らしさを求めてるんだなぁと思います。
「大人っぽい格好してみたいな」と言う娘に、「やめて、
小さい人は似合わないから!」と言ってしまった。
自分は散々やって来たのに!言ってすぐに
「あ、違う、やってもいいけど、けど、けど・・・(もごもご)」
となった。娘は、
「やっぱいいかな~、やってみたいけどだめな気もする~」
と言っていた。私も同じ気持ちなんよ。
欠乏感があるとそういう服装したくなるから。
でもそういう服を着けたいという気持ちは誰にも止められない
ことも知ってるし。私が本当の「癒し」「赦し」をコミットすれば
少なくとも、娘と共に欠乏感を感じることはないだろう。
娘の欠乏感さえ愛しく思えると思うのだが!