- 朝ごはん
ごぼうサラダサンド(チーズ、キャベツ千切り入り)
コーヒー
育児日記(1歳と、6ヶ月+18日)
※もはや、子育て日記ではありません。人によっては超不快な記事かもしれません
いろいろがんばりたくて、いろいろがんばっているつもりだけど、
ゼロに何をかけてもゼロ、という気分だ。まさに「消耗」している。
達成感がない、どんなにがんばっても。
それは、ひとりよがりだからでしょうか?がんばっている自分に酔っているだけ
なんだろうな。自分の人生に何かを積み上げていくことはできないのだ。
常にゼロをキープ、もしくは、マイナスをなんとかゼロに近づけるために生きる。
そもそもゼロもキープしていないのに何かをプラスしようとするから
おかしなことになるんだ。
そして何かにつけていつも怒りがある。怒っているというか不満。
もっとちゃんと扱って欲しいとか、他の人と同じように接して欲しいとか、
どうして欲しい、欲しかった。そればかり。甘え。
どうやったらこの思考回路治るかな、一生このままかな
自分でもどうしたいのかわからない。自立したいのか、したくないのか?
ただ人に「すごいねー」と言われたいだけかもしれない。「甘ったれの末っ子なのに、意外とちゃんとやる子なのねぇ」
と、いつかは誰かに認めて欲しくて、言ってほしくて無理している、といったところだと思う。
今思った。具体的にそれは、親や姉が、親戚一同全員に間接的に言ってくれ、親戚一同も賛同。
私を苛めた人はぎゃふんと言う。私が嫉妬していた人は感心してくれる。
はたまた、友達が誰かに間接的に言ってくれる。私を見直してくれる。
本当はがんばり屋さんなんだね、と。
これがハッピーエンド。なんということでしょう。恐ろしい願望ですね。恥ずかしい。
私はやっぱりどうやったってこんな人物なんだ、結局は。どこまでがっかりすれば
いいんだろう。もういいじゃないって自分を許したいけど、どこまでいっても満たされることはないから
そればかり考えてしまう。
自分には何もない、自分は何もできない、誰からも相手にされないと物心ついたときから気付いていたんだな。
小さい頃はまるでわからない話だけど、要するに、何もないというのは、「欲求がない、心の痛みを感じない」
ということです。誰かの言いなりでいいと思っているのです。でもいやなものはいやという中途半端な服従。
おそらく母もまた同じように
自分には何もない、自分は何もできないと感じながらも自分自身を励まし、私を励まし
頑張ったんだろうな。さすがに小学校高学年になると励ましたり褒めたりはしてくれず、
私はさてどうしたもんかと、ない頭でで考えたのでしょう、生きていくために。
とりあえず誰か(当時は姉)のマネをしようと。
そしてそんな私の娘だからと、娘に対してもそんな風な色眼鏡でみてしまう。
これを止めたい。どうしても止めたいのだけど・・・
けど、「希望に気付いた瞬間、絶望している」今までの経験上そうなんだ。
淡い期待は、その時点で叶わない。
珍しく娘(1歳)から近づいていったたお友達が、気まずそうにその場から立ち去るのをみて
まるで自分が体験しているかのように、そのことを思った。
娘の人生は娘のもの、なのに。娘の人生は私のものではないのに。
晩ご飯
レバー炒め(小松菜入り)
はるさめサラダ