40にしてまよわず、、
みたいな言葉ありましたよね。確か。ググリます。
ウィキペディアより
「子曰く、吾
十有五にして学に志す、
三十にして立つ、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順う、
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」
最後の方、ちょっと意味分かりませんが。
そういえば、46歳になって、迷いがなくなった気がします。
損か得か、正しいか間違いかで、ものごとを判断しなくなりました。
自分が欲しいか欲しくないか、やりたいかやりたくないか、
自分は欲しくないが、夫は喜ぶだろう、娘は喜ぶだろう、
親は欲しくないかもしれないが、
私はプレゼントしたいからプレゼントする、
迷惑だろうがじゃなかろうが良い。
と、最近そうとしか思えなくなってる自分がいます。
若い頃なら自己中心的な考えだったかもしれません。
だから、人にプレゼントしようと思ってるときに
夫から「迷惑なだけだ」と、指摘されると、
ショックを受けたり、即座にプレゼントをやめたり
していました。いまはいちいち落ち込みません。
誰のせいにもしません。
これが自己責任というものですか?ね?
もう本当にいろいろと適当になってきました。
なんかとってもラクなんです。30代にそうしようと
心掛けてもなかなかできなかったのですが。
おばさんになるってこういうことなんでしょうね。
悪いことばっかりじゃない。30代も相当苦しかったけど、
そのときの私は、40代の人からみれば「若いっていいわね」
という感じだったんだろうなぁ。
この前向き感が、躁鬱の「躁」でなければ、
本当に、私が少し変わったと言えるなら、
これは本当に娘や、いろんな人たちのおかげ
だなぁ、と思えます。