奇跡講座ワークブック編(708日目くらい)
【レッスン230】今こそ、私は神の平安を求め、そして見出します。
昨日、ピアノを弾きながら、十数年前の結婚式に参加したことを思い出して、
もう一度やり直せたら・・・と思った。そして、疲れて練習を終えた。
既に、娘の宿題の時間を過ぎていて、この宿題に取り掛からせるという、
無理っぽいミッションに対して、どうやって?
またも、この組合せ。私の後悔だらけの人生と、これからの娘の人生。
これを重ねて不安、からの怒り。しかし昨日は、ちゃんと、私も娘も
「身体ではなく、ひとつの霊として」見ようと心していたので、
なんとか大丈夫でした。私はいつも通り、口うるさくなったものの、
娘は、「わかったよ~」と言いながら、取り掛かりました。
途中でリタイアしましたけど、1ページも終わってないと思いきや
2ページ目の半分まで来ていたので、残りは風呂上りに、
ということになりました。結局やりませんでしたが。
いやいや勉強してる娘を見たいのではなく、ダラダラ好き放題やってる娘を
見たいわけでもない。そうすると、私は一体どうしたらいいのだろう
というのが子育てのテーマ。そりゃ、個性を認めてのびのび好きなことを
やらせたいと思うが、それは地域あってのことだと思う。おじいちゃんも
地元、お母さんも地元、という子供たち。そういう子供たちは地域に守られる。
娘は違う。どちらの祖父母との関係も希薄。早く気付くべきだった。
私も夫も「家」を憎んでるということに。どちらも自分の思うように
ならないものは要らないんだ。なのに、私は中途半端に拘ってしまう。
まだ私に参加できる余地はないものか?と希望を抱いてる。
でもこれも奇跡講座で癒しています。そうしたら昨日、姉と久しぶりに
父のことに関して、少しだけやりとりできて、また自我が暴れてたけど
なんとかパニックにならずに済みました。ふぅ。
ワークブックのパート2に入ってから本当にラクになっております。
私が一生懸命作った方程式が無効になってきていて嬉しいです。
嬉しいと思えることが嬉しいのです。