奇跡講座ワークブック編(646日くらい)
【レッスン196】 私が十字架にかけられるのは自分自身だけです。
父にヘルパーを付ける話、「姉が主導で、姉が出来ないときは私」
という認識でいたが、どうやら全然違う、ということに気付き始めています。
この認識も、私に都合の良い考えなのです。昔からの。
いろんなことに「?」がついた。私がやったことには続きがない。
姉は、全て私に丸投げするために、動いている、そう解釈すれば
全て辻褄が合う。おそらく姉もほとんど無意識だと思う。
それは、姉の自我ではないような気がする。
必要な人も紹介したし、包括センターもおしえた、掃除もした。
病院も(1回)連れて行った。
姉の中での、“引継ぎ作業” は、着々と進んでいる。あとは私が
諦めるのを待つだけ、か。いろんな切羽詰った表現で私を
揺さぶろうとしてくる。
それに気付いたからには拒否してもいいんだ、姉のしてること。
でも、全拒否とか、全て引き受けるという話でもない気がしてる。
昔から時々、姉のやることがわからなかった。
姉は、家族を損させまいと戦った。いつも無理矢理で、感情的で、
不器用で、大ぼらで、忘れっぽくて、でまかせで。
でも私は、いつも姉の背中を見てきた。姉のように生きれば
うまくいく、または、間逆に生きてやるとも思ってた。結局、
いつも姉に影響されまくっていた。親のようなもんだ。
とにかく今、反発している。
姉の自我は私の自我を絶対に許さない、と思う。
奇跡講座的には、自我は実在せず、姉と私はひとつなので、
ゆるすもゆるさないもない。そもそも目で見えることは
何ひとつ起きてなどいない。
しかし、やっぱり、私は自我、名前も「きょう」という字がつく。
狂人の「狂」。恐怖の「恐」
姉は、「れい」がつく。全身全霊の「霊(スピリット)」だ。
今こそ、ひとつにならなければ!と思うけど、
無理そうなので、自分に嘘など付かず、私は私で、
恐怖をのりこえていかないといけないです。