砂漠の朝

大人になれない人の育児日記。
奇跡講座ワークブックを実践中。

奇跡講座ワークブック レッスン91

2024-05-17 14:12:56 | 奇跡講座テキスト or ワークブック
「奇跡は光の中で見えます」

今週はこの91しかやっていません。もう一生このレッスンだけでいいかな
と思うくらい、今が快適です。苦しくて必死でお願いしたから。

何か面白くないことがあったときに出てくる私の思い込みたち、

・私が不幸なのは夫のせいだ
・姉に「もう連絡しない」と宣言されたのは、私が悪い妹だからだ
・私は姉の反転のようなものだ
・両親は姉を愛情で産み、私は怒りで産んだのだろう
・私は一生妬みと痒みに苦しむだろう
・何をしたって自分は要らない人たち
・娘を好きになる努力をしてるってことは嫌いってことだ

常に、決定事項のように蔓延っているこれたちが今いない。
それが事実だとしても「良いよ!」という気分。
重要事項でない。

その証拠に、
さきほど見てきた娘の体育の授業で、スポンジのようなボールを
ふたりペアとなり投げあいをしていたのだが、相手児童が近い距離で
娘の顔にボールを投げていた。その跳ね返ったボールを走って取りに
行く娘。

以前なら、怒りで心臓がバクバクしたものですが、
やり返さない娘の存在感とそれを喜ぶ私だけがそこにありました。

そのお友達がやった行動をささいなことを思え(てしまっ)た。
この新しい感覚を歓迎しております。

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自立?自律?

2024-05-17 13:32:24 | 日記
穏やかな日が2日、続いております。絶対に行けない、と思っていた
授業参観も行って来ました。なんで行けたのか自分でも不思議です。

姉の「もう連絡しないから」宣言の日から、なんだかすごく世間が
恐くなって、自分は結局姉に守ってもらってたんだ、と思うと
まるで今までしがみ付いていた柱のようなものを失った気分になり
とても悲しく、自分のそっけない返信の数々を後悔するべきか
悩みましたが、私が後悔しようが、弁解しようが、言い訳しようが、
弁明しようが、何も意味がないということしか実感できず、放置
する以外何もありません。

そしてここ数日、監視カメラや、店員、警備員が恐くて、
レストランでの出来事もあり、外に出れませんでしたが、
娘の習字の紙を調達せねばならず、行って来ました。

行く前に、「やるべきことをやっていない」という言葉が、
思い浮かんできて(受け取って?)、そう言えば、私、人が
不安になることしかやってないなと思い(姉とのラインしかり)、
「敵意を抱いていませんよ」という思いを態度に示すよう
頑張ってみようと思えました。

姉のことを恋しく思うけど、姉がばっさりとやってくれた
おかげか、私の姉の呪縛(あったか知らんが)が解けたような
気がした。

いつも姉のような人間にならんといけない、とどこかで
思っていたと思いました。

もう少し姉を喜ばせても良かったかもしれないけど、
それはそれで良かったんだと思える。やっぱり少し寂しいけど。

今、姉が全て忘れて、お茶しようって連絡がきたら、飛んでいくかもな。

いや、姉の誘いは、私にとってただのそれではない。私がそれを
「要求」と解釈してしまう。実際、そうだと思っている。そうじゃなきゃ
放っておかれてる。それが正常な状態と思ってるけど!

だからそれで納得してる。満足すらしてる。

姉も親戚からの「妹(私)は?」という質問から解放されてるだろうと思う!
そう聞かれたら「知らん」でいいんだ。私はそんな脅しのようなものに
支えられていたと思っていたと思うと。本当にどうでもいいですね。

これこそ自立だと思う。



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