「奇跡は光の中で見えます」
今週はこの91しかやっていません。もう一生このレッスンだけでいいかな
と思うくらい、今が快適です。苦しくて必死でお願いしたから。
何か面白くないことがあったときに出てくる私の思い込みたち、
・私が不幸なのは夫のせいだ
・姉に「もう連絡しない」と宣言されたのは、私が悪い妹だからだ
・私は姉の反転のようなものだ
・両親は姉を愛情で産み、私は怒りで産んだのだろう
・私は一生妬みと痒みに苦しむだろう
・何をしたって自分は要らない人たち
・娘を好きになる努力をしてるってことは嫌いってことだ
常に、決定事項のように蔓延っているこれたちが今いない。
それが事実だとしても「良いよ!」という気分。
重要事項でない。
その証拠に、
さきほど見てきた娘の体育の授業で、スポンジのようなボールを
ふたりペアとなり投げあいをしていたのだが、相手児童が近い距離で
娘の顔にボールを投げていた。その跳ね返ったボールを走って取りに
行く娘。
以前なら、怒りで心臓がバクバクしたものですが、
やり返さない娘の存在感とそれを喜ぶ私だけがそこにありました。
そのお友達がやった行動をささいなことを思え(てしまっ)た。
この新しい感覚を歓迎しております。