今日は朝から、娘のダンスの振替レッスンなので、その間だけひとり時間、
ほっとひと息付いております。
明日はイベント、あさって盆。奇跡講座の考えなしにはちょっと無理。
湧き上がる感情や思考、知覚について、気付いたときはいつも
「何も意味はありません」というレッスン1をちょいちょいやっています。
3年前は、真剣に取り組むが余り、無表情・無感動・無感覚をそれと
勘違いしがちでした。それが、2~1年前になると、なんとかそれに
霊とか、それの目的以外の恩恵を感じようとしてみたり。
今は、それを思い出すことによって癒されようという目的があるような
気がします。この世界の価値観にどっぷりなので。どっぷりなんよ。
それは奇跡講座やろうがやるまいが結局同じなんですね。
テキストにも、「何を真実とするかあなたに決めることはできない」
とありました。
幻想と真実(自我or聖霊)の選択をあれだけせまっといて・・・・・・・?
という気持ちの今です。
追記:3つ前の記事に、「あなたに代わって聖霊に神を選択する決断
してもらう」と書いてある!しかも赤文字で。
やっぱり自我の勘違いの暴走、すごい。
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