島根県大田市
妙好人 浅原才市は、自らの頭に角を書き加えた自画像を描きました。
そして、このような歌を残しています。
慚愧(ざんき)のごゑん(御縁)にあうときは ときもき(機)もあさましばかり
これがかんぎのもととなる なむあみだぶつのなせるなり
自分の、浅ましさ、馬鹿さ加減、愚かさを自覚できることが、大切なご縁なのです。
慚愧(ざんき)とは、自らを恥じることなのですが、
「慚」は自らの罪を自らの心に恥じること
「愧」は自らの罪を他人に告白して恥じることです。
人間、煩悩があればこそ、心の目が開けるのです。
渋柿の 渋そのままの 甘さかな
妙好人 浅原才市は、自らの頭に角を書き加えた自画像を描きました。
そして、このような歌を残しています。
慚愧(ざんき)のごゑん(御縁)にあうときは ときもき(機)もあさましばかり
これがかんぎのもととなる なむあみだぶつのなせるなり
自分の、浅ましさ、馬鹿さ加減、愚かさを自覚できることが、大切なご縁なのです。
慚愧(ざんき)とは、自らを恥じることなのですが、
「慚」は自らの罪を自らの心に恥じること
「愧」は自らの罪を他人に告白して恥じることです。
人間、煩悩があればこそ、心の目が開けるのです。
渋柿の 渋そのままの 甘さかな