行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

一休禅師の言葉

2014年09月30日 | 禅の心
この道をいけばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一歩が道となり 
その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ


高村光太郎の『道程』に似たところがあります。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


危ないと思って一歩を踏み出さなければ道は開けません。ちょっとした勇気が人生を切り開くのです。

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良寛さんの名言

2014年09月26日 | 禅の心
いかなるが苦しきものと人問わば、人をへだつる心と答えよ。

最も苦しいことは何かと人に聞かれたら、人をわけ隔てる心であると答えなさ

い。



そうはいっても、これがなかなか難しいのです。人間は好き嫌いでものを見て

いますから。

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一遍上人の言葉

2014年09月23日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗

専ら平等心をおこして、差別の思いをなす

ことなかれ。



とてもわかりやすい言葉です。人間は生まれながらに平等で、差別されるいわれはありません。

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キャンドルサービスのように

2014年09月19日 | 最澄・天台宗・比叡山
一燈照隅 万燈照国

伝教大師(最澄)の言葉です。

ろうそく一本の光は暗くても、キャンドルサービスで次から次へと炎を分けていけば明るくなります。

一人一人の善い行いは小さくても、それが広がっていけば、国を明るくするほどの大きな力となります。

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迷信もまた方便

2014年09月16日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
蓮如上人は迷信や占いに惑わされる人に次のように言っています。

御門徒の中にわずらへば、祈祷師、神子、陰陽師をもって病者を祈り、あるいは今生の寿福を神に祈る輩は、聖人の御門徒にあらず。いそぎて御門徒をはなさるべきこと。(蓮如上人九十箇条)

病気になったら、祈祷師や神主、陰陽師に病気が治るのを祈らせたり、神様に長生きできることを祈る人は親鸞聖人の御門徒ではないから、さっさと浄土真宗から出て行きなさい。

この蓮如上人の言葉は次の親鸞聖人の言葉がもとになっています。

かなしきかなや、道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす   (正像末和讃)

嘆かわしいことだね、世間では良い時間、吉日などの迷信に惑わされ、神様をあがめて占いや祭祀に熱心なことよ。

さて、私は迷信や祈祷、占いは正しい仏法に入っていくひとつのきっかけになっていくこともあると思っています。また、宗派の中には天台宗や真言宗のように神道との関連が強く、祈祷が大きな位置を占めているものもあります。
迷信や祈祷は親鸞聖人や蓮如上人の意としないことであり、釈尊の正しい教えではありません。しかし、長い間にいろいろなものと結びついてきた日本の仏教において、迷信や祈祷は一つの方便だと思っています。

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