行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

笑いは闇を破る

2020年09月08日 | 禅の心
以前にもアップしましたが、布袋さんの笑いは七福神が喧嘩していれば場を和やかにし、修行の緊張を和らげてくれます。オウム真理教は布袋さんのような人がいればあのような事件は起きなかったかもしれません。オウムはもともと、真面目で深刻な人々の集まりだったと思うのです。この中に布袋さんのような陽気なオジサンがいたら状況は変わっていたのではないでしょうか。真面目に修行しているのに笑うとは不謹慎ではないかとお叱りを受けても私はそのように思います。宗教はカルト化したり魔境に陥る危険を伴います。その魔物から布袋さんが守ってくれるのです。

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変わりゆく墓制

2020年09月04日 | 仏の心
浄土真宗の勢力圏では古い墓が少ないです。周防大島の笠佐島では昔から散骨して墓が全くありません。青谷や泊では門徒の方が亡くなると一ヶ所に遺骨をまとめて(いわゆる納骨堂ではない)おくところもありました。また、鳥取などでは家の近くに墓はつくっても遺体は山奥に土葬するという両墓制が近年まで行われていました。土葬は遺体の腐敗とともに墓石が沈んだり傾いたりするのでそれを防ぐためです。(一旦土葬したものを3回忌(2年後)くらいに掘り返し、洗骨して骨壺に収めて墓に入れる場合もあります。)墓をつくる習慣は伝統というよりも、両墓制の前は庶民は山に土葬して目印を置くだけということが多かったようです。日本人には自然に還りたいという感性があり、西洋のカタコンベのような地下室に棺を置くというような習慣はあまりありません。(強いて言えば即身成仏のミイラくらいでしょうか)骨壺のまま墓石の下のコンクリートの部屋に入るよりは土に埋める方がいいという地域もあります。
樹木葬は決して新しいものではなく、自然に還りたいという埋葬法の一つなのです。

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さいちがほとけに拝まれること

2020年09月01日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
さいちがほとけを 拝むじゃない
さいちがほとけに 拝まれること
南無阿弥陀仏(浅原才市)

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