行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝禅話集(120)

2019年10月29日 | 仏の心
○多様性とはいうが、仏教は多様性をむかしから重視していたんじゃよ。法華経をみてみんさい、どんなもんでも成仏しょうろうが!

○弱者を叩いたり、弱者の味方を叩く人は心が干からびてしもうておるんじゃね。

○隣同士の府県が仲が悪いところもあるじゃろう。同じ県内で対抗意識をもっておるところもあるじゃろう。あんまり遠くとはケンカせんのんよね。

○禅は勇ましいもんじゃないよ。悲しい時には真珠の涙を流すことができるのが禅じゃよ。

○白隠さんの弟子にお察という婆さんがおった。婆さんの孫娘が亡くなったときに、死ぬかと思うくらい号泣した。周りの人は禅を極めた者がみっともないではないかと言った。お察婆さんは「禅を極めたからこそ泣ける涙なんじゃ」言うたそうな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

烏鷺滝禅話集(119)

2019年10月25日 | 仏の心
○宗教の中には「機能不全宗教」というのがある。「罰が当たるぞ」というような宗教は機能不全でさらに脅迫しとるんじゃけえタチがわりいのう。

○「仏におうたら仏を殺し、祖師におうたら祖師を殺す」何やら物騒じゃが、自分の中のキラリと光るものを見つけたら、経典も仏像もいらん。仏も神もいらん。坊主もいらん。仏教なんかクソじゃわ!

○「仏におうたら仏を殺し、祖師におうたら祖師を殺す」何やら物騒じゃが、自分の中のキラリと光るものを見つけたら、経典も仏像もいらん。仏も神もいらん。坊主もいらん。仏教なんかクソじゃわ!

○人間は少しずつ死んでいっておるんじゃね。生きることは死ぬことであり、死ぬことは生きることなんじゃよ。

○今生きておる時間が永遠なんじゃよ。今、ここ、自分がすべてじゃよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

烏鷺滝禅話集(118)

2019年10月22日 | 仏の心
○哲学や宗教の専門家でない人は、深入りせずほどほどにやるのがよかろうよ。かえってストレスになるようじゃあ何の意味もないよ。

○人々から崇め奉られたい欲のある坊さんはたいしたことがない。無名な坊さんの中に本物と呼ばれてもいい人がおるものじゃ。

○頭蓋骨を木につけて京都の市中を走るのは一休さんがやったから意味がある。「死にとうない」ともがき苦しみながら死んでいったのんは仙厓さんじゃから意味があるんじゃよ。

○京都は「生と死」「聖と俗」「未来と歴史」が見事に一つになっておるところが値打ちなんじゃと思うよ。

○ある宗教の人々に捨てぜりふで「罰が当たるぞ」と言われたことがあったが、そのあと良いことばかりあったぞ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

烏鷺滝禅話集(117)

2019年10月18日 | 仏の心
○人間、生まれたときはみんな真っ白な状態なんじゃよ。真っ白な自分を染め上げるのんは自分なんじゃよ。

○他人に人生をコントロールされるんじゃないよ。

○ニーチェはどうして発狂してしもうたかわかるかの?あんまり考えすぎるとおかしくなるんじゃよ。

○高校まで「哲学」を深く学ばせんのんは妥当じゃあ思うんよ。数学で論理を鍛え、国語や倫理でちょっと思想を垣間見ればええんよね。

○禅だけでも24流あるんじゃよ。まして仏教というものにも無数の考え方があり、考え方の違う者同士が「ああでもない、こうでもない」と批判し合うたところで時間の無駄じゃよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

烏鷺滝禅話集(116)

2019年10月15日 | 仏の心
○おかしなものに洗脳されとる人は、そう簡単に洗脳されとることに気がつかんぞ。

○一休さんは世間が狂っとることに気がついた。だから一休さんは風狂の人なんじゃ。

○今の坊さんには風狂ちゅうことがわからんよ。恵まれとるけえの。

○ワシはお釈迦様がエライなんて思わんぞ。釈迦様の説いた真理がエライんじゃよ。

○今、生きてここにおることが素晴らしいんじゃよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする