例えば「護摩をたく」とか「法力」ということは自然科学では説明できないし、自然科学で説明してはいけないことなのだ。なぜなら、自然科学は人間の言語で語られていることだが、「護摩」とか「法力」は仏の言語で語られていることだからだ。自然科学で説明できないものを無理に説明しようとするとグロテスクなニセ科学やオカルトになってしまう。
量子論や大脳生理学が語っていることは仏教で言っていることと似ていることがあるかもしれないが、同じではない。かつて天外伺朗さんの著書が話題になり、感銘を受けた方もあるかもしれないが、読み方には要注意である。
自然科学に思想が入り込むと危険なものやニセ科学になる。自然科学と宗教、哲学の対話は必要だが、一緒にしてはいけない。
自然科学に思想が入り込むと危険なものやニセ科学になる。自然科学と宗教、哲学の対話は必要だが、一緒にしてはいけない。
学人(がくにん)第一の用心は 先ず我見(がけん)を離はなるべし『正法眼蔵随聞記』
自分に都合のよい情報ばかり集めたり、自分勝手な見解が真理であるように考えるのは学問する者として好ましくない態度である。
自分に都合のよい情報ばかり集めたり、自分勝手な見解が真理であるように考えるのは学問する者として好ましくない態度である。