行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

宗教と道徳

2018年08月31日 | 仏の心
宗教と道徳は似て非なるものです。道徳は、権力者の都合によって変わって行くもの。宗教は永遠普遍の真理。カントのいう道徳法則の普遍的妥当性とは宗教に近いものなのかもしれません。戦争中にあっては、敵を多く殺傷することが道徳でした。時として、殺人が道徳になることもあるのです。江戸時代の「武士道」も道徳の一つです。そもそも武士道は、幕府が平和な時代に武士はかくあるべきということを示すのが目的だったと思われます。つまりは権力者が支配するための押し付け的なところがあります。
江戸時代には幕府や諸藩に忠実であれとうたったものでした。明治政府はこれをうまく取り入れ、明治維新から戦前までは、国家や天皇陛下に、忠実であれと置き換えたのでした。そして現代は会社や組織に忠実であれといったところでしょうか。
明治維新で武士道の精神の形を変えて行ったのは、山岡鉄舟らでしょう。ただ、山岡鉄舟は平和主義者なので、これを戦争への道に繋げようとは思わなかったと思います。ただ、武士道の精神を教育勅語に取り入れたのは確かです。
私が、武士道について疑問を持っているのは、人の命を軽んじたり、人の死を栄誉あるものにすり替えたりする点です。葉隠の有名な一節に、「武士道とは死ぬこととみつけたり」があります。江戸時代においては、主君のため、明治維新以降はお国のために死ぬことを美徳としているところです。
また、捕虜になって辱められるなら死んだ方がましだというようなものもありました。
人間、どんなときでも生きなければなりません。それを教えるのが教育であるはずです。武士道をすべて否定するつもりはありませんが、死を美徳とするのは現代にはそぐわないと思います。
人のものを盗んではいけない、人を殺してはいけないというのは道徳です。人のものを盗ることができない、人を殺すことができないというのが宗教です。悪いことをしてはいけないのではなく、悪いことができないという心を養うのが宗教なのです。
ただ、今の日本には宗教がないのが現実です。

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日光・月光

2018年08月28日 | 仏の心
世の中には、太陽のように明るくギラギラした光も必要なら、

月の光のように、やさしく包み込む光も必要なのです。

人には、社交的な人、独りを好む人。

外向的な人、内向的な人、

賑やかな人、もの静かな人

など、いろいろな人がいて、うまく調和しているのです。

明るく、快活なだけがいいわけではない、

静かにいつも落ち着いている人も必要なのです。


道教では、陰陽が調和している状態が、好ましい状態であると考えています。

実際に、私たちや、まわりの全てのものをつくっている原子は、

電子と陽子という、陰と陽が調和して成り立っています。

そして、陰イオンと陽イオンが調和して物質をつくり、

酸化されるもの、還元されるものが調和して、私たちの体の化学反応はスムーズに進行して生きているのです。

世の中、いろいろな人がいて、うまくいくものなのです。

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稔ほど頭を垂れる稲穂かな

2018年08月24日 | 仏の心
私たちは、毎日自分自身を見つめ直さないと、謙虚さを失い、高慢になっていく存在だと思います。

自分がまともで、他は馬鹿に見える。

自分が偉くなったように思える。

自己顕示欲の塊である自分に気がつかない。

こんな状態になったら、要注意です。

日本人は、負けることの大切さを知っている民族です。

はじめから相手を立てて、自分を下げておく。

狭い道をすれ違うときに、お互いに道を譲り合う、

そうすることによって、相手との関係がスムーズに行くわけです。

謙虚な人は気持ちが良く、好感が持てるものです。

年をとるほど、誰に対しても謙虚になって、腰を低くしていきたいものです。

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愚かさを 知るは賢く

2018年08月21日 | 仏の心
愚かさを 知るは賢く
賢しと 思ふは我の 愚かなれ
(法句経63)


ワイドショーや週刊誌などは、怒り、批判、叩きで満ち溢れています。私自身は、他人が攻撃されている不幸な姿を見て楽しむようなことはしたくないので、なるべくワイドショーや週刊誌は見ないようにしているのですが、ついつい目に入ってしまう事もあります。
私は、自分はまともで、他人がおかしいと思わないように気をつけなければならないと思っています。
私は時々「自分は他人を批判するに値するだけの事をいつもやっているのだろうかと」自問してみます。
芸能人などの失言に対して、世間は厳しい非難の声を浴びせますが、失言をしているのは特定の人ばかりではありません。インターネットの掲示板などをみても、汚い言葉で溢れかえっているのをみることがあります。
建設的に意見を述べる事は大切だと思いますが、叩き、愚痴、悪口などマイナスの感情は結局は自分に跳ね返って来る事を心得ておかなければならないと思います。
他人の非を挙げて責めるのではなく、自分自身の愚かさに気付かせていただくことが大切だと思っています。

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烏鷺滝禅話集(9)

2018年08月17日 | 仏の心
〇ボランティアしました、募金しました。いちいち報告せんでええ。

〇良いことは黙ってするから値打ちがあるんじゃよ。

〇陰徳を積むことが大事なんじゃ。

〇お金持ちがお寺にお布施して、金額を書いてもらう。そんなもんじゃない思うんじゃ。

〇黙っときゃあえんじゃ。

〇ええことするんは、人に褒めてもらうためではないぞ。

〇ええことするんは、名誉のためではないぞ。

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