行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

心が強くなくてもいい

2015年08月28日 | 禅の心
禅に興味をもっている人に、禅についてどのようなことを期待しているかを聞くと、

心が強くなりたい。物事に動じない心をもちたい。

というようような答えがかえってきます。

しかし、禅は弱い人は弱いなりに救われていく方法を説くのです。

心が強くなくても、生きていく方法を説くのです。

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禅的無神論

2015年08月25日 | 禅の心
禅の心は「衆生本来仏なり」に尽きると思います。

真実を自分の外に求めるのは、はかないことだと白隠禅師は言っているのです。

水が氷になるように、人間がそのまま仏なのです。

強き者にひれ伏したり、カリスマに熱狂したりするのは愚かなことです。

仏教は無神論だと言われていますが、信じる対象を外に求めないという点ではその通りだと思います。

一神教的な生き方もそれなりに意義はありますが、神を否定する生き方も良いと思います。

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八正道

2015年08月21日 | 禅の心
八正道は、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つの徳です。

まずは正見ですが、自分の願望や、自分自身の物差しを取り除いて、正しく物事をみることです。

大切なのは、偏りなく公正な目で物事をみるということです。

自分の色眼鏡を外してみるということです。

ただ、これはなかなか難しく、自分の都合の良いように物事をねじ曲げて見てしまいがちになります。

そして、現実に気がつき、苦しむのです。



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主義ではなく

2015年08月18日 | 禅の心
極端な思考をする傾向にあるひとは、いろいろなことを極端に考える傾向があります。

若い頃、過激派だった人が、極端な愛国者に転向したりするようなことは珍しいことではありません。

極端な考え方をする人は、過激さや攻撃性を好んでいるところが少なからずあります。

般若心経の「空」の心は、そういった極端な考え方を戒めています。

物事を対立的に考えるのはよくないということです。

私は、特定の政党を支持していませんし、特定の信条もありません。

物事を自由に冷静に見ていくことが大切だと思っています。



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極論はよくない

2015年08月14日 | 禅の心
極端な考え方は逆に危険になってくることがあります。

太りすぎもよくないけど、やせすぎもよくないように。

宗教でも政治思想でも

極端になると、攻撃的になっていきます。

徹底的にやることは時には必要でありますが、

少し矛先をおさめてみることも必要なのです。

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