自分の考えていることにさえ常に疑問を持っている人は本当に知性的な人だ。
私は本には
①自分にとって読む価値のない本
②「あーそうだ」と自分の価値観や思考を追認(改めて確認)する本
③「あーそうだ」とうなずけるけど自分の価値観や思考を覆す本
の3つがあると思いますが、この本は数少ない③の本でした。
南直哉師のいう「死ぬ練習」とは坐禅と慈悲行です。坐禅で自己を解体し、他者への敬意と慈悲を興すことは死ぬ練習になるだけでなく、精神的に安定し、楽に過ごすことにもなるのです。不安や恐れを消し去るのはこのことなのです。
この本を読んで、激しく納得すると同時に、今までの価値観が音を立てて崩れていく気がしました。
密教や念仏者の方はこの本の内容に反発を覚えられるかもしれませんが、釈尊の思想の核心部である無常、無我、縁起との整合性という点で納得しました。
①自分にとって読む価値のない本
②「あーそうだ」と自分の価値観や思考を追認(改めて確認)する本
③「あーそうだ」とうなずけるけど自分の価値観や思考を覆す本
の3つがあると思いますが、この本は数少ない③の本でした。
南直哉師のいう「死ぬ練習」とは坐禅と慈悲行です。坐禅で自己を解体し、他者への敬意と慈悲を興すことは死ぬ練習になるだけでなく、精神的に安定し、楽に過ごすことにもなるのです。不安や恐れを消し去るのはこのことなのです。
この本を読んで、激しく納得すると同時に、今までの価値観が音を立てて崩れていく気がしました。
密教や念仏者の方はこの本の内容に反発を覚えられるかもしれませんが、釈尊の思想の核心部である無常、無我、縁起との整合性という点で納得しました。
上堂。云く、
「赤肉団(しゃくにくだん)上に一無位の真人有って、
常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」。
時に僧あり、出て問う、
「如何なるか是れ無位の真人?」。
師禅床を下がって把住して云く、
「道(い)え道え」。
その僧擬議す。師托開して、
「無位の真人是れ什麼(なん)の乾屎屎ケツ(かんしけつ)ぞ」
と云って便ち方丈に帰る。
義玄禅師はおっしゃった
「ワシらあの体の中には一無位の真人がいて、
常にあんたらあの皮膚の穴から出たり入ったりしとるんじゃ。
まだこれを見とらんかったら、さあ見てみんさいや」。
その時1人の僧が進み出て質問した、
「その無位の真人とはいったい何ですかいのう?」
義玄禅師は席を降りて僧の胸ぐらをつかまえて
「さあ早う言いんさい」と迫っていった。
その僧は困ってすぐに答えることはできなんだ。
義玄禅師は僧を突き放して、
「お前さんの無位の真人はなんと役に立たんウンコをかく棒じゃのう。」
と言って方丈に帰った。
「赤肉団(しゃくにくだん)上に一無位の真人有って、
常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」。
時に僧あり、出て問う、
「如何なるか是れ無位の真人?」。
師禅床を下がって把住して云く、
「道(い)え道え」。
その僧擬議す。師托開して、
「無位の真人是れ什麼(なん)の乾屎屎ケツ(かんしけつ)ぞ」
と云って便ち方丈に帰る。
義玄禅師はおっしゃった
「ワシらあの体の中には一無位の真人がいて、
常にあんたらあの皮膚の穴から出たり入ったりしとるんじゃ。
まだこれを見とらんかったら、さあ見てみんさいや」。
その時1人の僧が進み出て質問した、
「その無位の真人とはいったい何ですかいのう?」
義玄禅師は席を降りて僧の胸ぐらをつかまえて
「さあ早う言いんさい」と迫っていった。
その僧は困ってすぐに答えることはできなんだ。
義玄禅師は僧を突き放して、
「お前さんの無位の真人はなんと役に立たんウンコをかく棒じゃのう。」
と言って方丈に帰った。