行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

右も左もありゃあせん

2017年08月29日 | 仏の心
○「あなたは右ですか?左ですか?」と聞くヤツがいる。

○「右でも左でもありゃあせんよ」と答えるんじゃ。

○どっちかでないといけんのんかいの。

○何でも人を分類したがるヤツはおるもんじゃの。

○しかし、そう簡単に人間は分類できりゃあせんよ。

○強いていやあ、人間には攻撃的な人と穏やかな人がおるかもしれんの。

○わしゃ、自分じゃあ温厚な人間じゃあ思うとるんじゃがの。

○人間にはいろんな面があるんじゃけ、決めつけるのはようないね。

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慢心を捨てよ

2017年08月25日 | 禅の心
禅では、「自分は悟ったんだ」という増上慢を非常に嫌います。

禅において優越感に浸り、自己陶酔に陥ることを禅天魔と言って戒めています。

茶道や華道の師範と呼ばれる人たちにも、慢心に陥っている人はいます。

一定の境地や技術を身につけても、もう一度初心に返り、謙虚な気持ちで己の道に臨むことが肝要です。

このことは、禅や茶道、華道に限りません。

いわゆる人の上に立つ者の戒めとして、心がけなければならないことです。

人間、出世すれば威張りたくなりますし、高慢になってくるものです。

その高慢さによって、人から嫌われ、思わぬ失敗をすることもあります。

一昔前、「勝ち組」として、鼻高々だった人も、今ではその面影すらないという例もあります。

「おごる平家は久しからず」です。絶好調の時こそ、謙虚な心で生きていくことが大切です。

禅とは、自我を抑え、謙虚に生きる道なのです。

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正義の暴走をさせない

2017年08月22日 | 仏の心
戦後、未解決の凶悪事件は、かなりの数にのぼっています。警察の方もご苦労なさっているわけですが、凶悪事件が解決して、平和で安全な日本であること望みます。

 その一方で、冤罪事件もあとを絶ちません。全く関係のない人が、犯罪者として世間にさらされ、大切な人生を無駄にしてしまうことになるのです。これほど残酷なことはありません。実際に犯罪被害に遭われた方も気の毒ですが、無実の罪を着せられて苦しむ方もこの世の生き地獄を味わうことになります。人は、見かけや感覚的なもので判断されやすいものです。そのことが差別や無実の罪を生むことになります。犯罪捜査の過程で警察に寄せられる情報や、インターネットの書き込みの中には、どうみても人を見かけで判断していたり、根拠のない情報もあります。

 仏教では、ウソをつくことを戒めます。「無実の罪」を作る人も犯罪者と同様の罪になることを考えて、慎重に発言しなければなりません。

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無我の境地

2017年08月18日 | 仏の心
○京都の妙心寺を開いた関山慧玄(無相大師)さんのお話しじゃ。

○関山和尚は今の岐阜県にあったボロ寺の住職をしとっての。

寺は雨が降るたんびに雨漏りがしとったんじゃと。

○ある日大雨になってひどい雨漏りがしたそうじゃ。

和尚は小僧さんに「早う雨を受けるものを持ってきんさいや」

と言うたんじゃと。

○じゃがお寺には、受けるものは何にもなかったんじゃと。

小僧さんがみんな右往左往しとる中で一人の小僧さんがザルを持ってきたんじゃと。

○関山和尚はザルを持ってきた小僧さんを誉めて、右往左往しとった小僧さんたちを叱ったんじゃ。

ふつうに考えてみればザルを持ってきた小僧さんは馬鹿じゃ。

しかし、禅は何かにとらわれることを嫌うんじゃ。

あるいは誉められるために行動することを嫌うんじゃ。

○今できるベストはなにかと考えたら、ザルを持ってくることしかないんじゃ。

○怒られるかもしれないけど右往左往しているよりザルの方がましと小僧さんは素直に考えたんじゃね。

○役には立たないが小僧さんの無我の心を誉めたんじゃ。

○誉められるために何かをするというのは禅的な生き方ではないんじゃ。

○花のように無我で生きることは難しいかの。



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仏は丸い心

2017年08月15日 | 仏の心
○仏様は丸い心を説いておられるのじゃ。

○自分の心が平和であることが世の中の平和につながるのじゃ。

○他人を批判するんでのうて自分を見つめ、相手を自分に重ねてみるんじゃ。

○中には勇ましい姿や怒っている姿の仏様もおられるが、何かを攻撃しようとなさっているのではない。

○戦国武将やら、軍隊やら、仏様を戦いのシンボルにしてしまったところがあるが、仏様は戦いは嫌いなんじゃよ。

○気を静めて落ち着けというのが仏様なんじゃ。

○お釈迦様は平和を愛されたんじゃ。



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