行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

澤木興道老師の言葉

2018年07月13日 | 仏の心
○今の世の中の人間は、オカシナことに自分の人生を、しみじみと考えてみたことがない。われわれ過去永劫の昔から、何ぞ煮えきらぬものを持ってきており、「あの人もそうじゃ、この人もそうじゃ」と、それで平気でいるだけである。これがグループ呆けというもんじゃ。人並みでありさえすればいいと思うとる。サトリとは、自分の人生を、しっかりと持つことでなければならぬ。グループ呆けがなくなることである。

○仏教というものは「ああ人間に生まれてきてよかった」ということを教えるものである。

○よう「禅をやって、ちょっとマシな人間になろうと思いまして」と言うてくるのがある。坐禅は人間の修養ではない。人間の廃業である。


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坂村真民の詩から

2018年07月10日 | 仏の心
信仰によって
強くなるのではない
弱いままに
助けられ
守られていく
その喜びの中に生きる
それが本当の信仰である


(坂村真民)

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烏鷺滝禅話集(4)

2018年07月06日 | 仏の心
○仏像がありがたいんじゃないんじゃ。人間が有り難いんじゃ

○恨み憎しみ合うことが恥ずかしいことじゃあ思わんとの

○自分に酔って醒めてみると虚しいものじゃよ。酔っている自分を客観的に見つめる目が必要じゃよ。

○まちがえんさんな。立派なことを言う人が偉いんでのうて、立派な行いのできる人が偉いんじゃよ。

○他に対する慈悲の心がないところに、心の平安はないんじゃよ。

○「主体的に生きる」ことと、「自分勝手に生きる」ことは全然違うことなんじゃよ。

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烏鷺滝が自戒について語る

2018年07月03日 | 仏の心
○世間では自惚れが強い人が多いのう。

○自惚れと自信がないのとは紙一重なのじゃ。

○それほど凄くないのに凄いと思う自分がいる。

○しかし、自分の本当の姿を知ると落ち込んでしまうのじゃよ。

○場合によっては鬱になってしまうんじゃよ。

○そうならんためには、自分を正しく知ることが大事じゃね。

○自己に親しむことのうて自我ばかりが肥大するから悲劇が起こるんよね。

○道元禅師も「仏道を習ふといふは自己を習ふなり」とおっしゃっているではないか。

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