今日は日記に書くようなことをこっちに書いてみようと思う。
とはいえ、普段日記に書くことだけあって、それまでの俺の思考のプロセスみたいな要素はかなり削がれるだろう。
今日のテーマは「イメトレ」と「プロ意識」の二つ。
どちらもハウツー本を読まないと普段から考えるような発想ではないが、
ハウツー本はどういうわけか人一倍読んでいるつもりなので、こういう場で俺の考えを書いてみてもいいのだろう。
エントリーシートにも、ここから思いつくエピソードだって書けるのかもしれない。
「イメトレについて」
さて、楽器で難しいパッセージを弾いたり、なんにせよ向かい合った問題に対して逃げられなくなったとき人はイメトレをするとよい(らしい)。
バイト先や研究室でわからないことがあったとき、
先輩や社員さん、先生に訊いたら試しに1回わからないことをやってくれることがあると思う。
結局のところ、それを仮想的に自分で行う作業である。
大体のハウツー本には「成功している自分をイメージしろ」などと書いてあるものである。
事例:
イチロー(大リーグ)は『自分のイメージしていたようなバッティングができた』と言う。
5打数4安打とかが叩き出せたとき、打つべきところで打てたときによくそういうことを言っていた印象がある。
俺は、それを聞いてイチローがどのような絵を頭に浮かべていたのだろうかということをそのコメントが出るたびに考えていた。
そして、その緻密な考え方、ついてくる結果を尊敬、した。
スポーツ選手は精密機械のようになっていくことが最強の形なんだろうか、などといらんことを思いもした。
『プロ意識』ってものについて考えさせてくれるので、好きな選手である。
「プロ意識について」
やるからには手を抜かない、という意味で使っている。
厳密にはそれだけの意味ではないと思う向きもあると思うが、「手を抜かない」という言葉が
それらのあらゆるものを補填するくらい徹底的ならば問題はないだろう。
この概念は浪人時代(5年前)位から俺に発生したものだが、
ここにきて改めて書くのはそれを再考する機会があったからに他ならない。
先日('04/11/07)行ったオーケストラ・ルゼルの演奏会の仕事で、いい仕事は時にはやっていて楽しくもあることを知った。
或いは、あらゆる局面で、自分の力不足(努力不足だろうか)が周りを不幸にさせることがあることを知った。
よい仕事は一種のやさしさである。
最近、携わること携わることに「徹底してやる」ことを考えるようになっている。
結果、自分の理想通りに動けることがある。いつまでも続くとは思えないが、続けられるものなら続けたい。
ちなみにこれは24歳になって掲げた目標の一つでもある。
徹底できるだろうか?
とはいえ、普段日記に書くことだけあって、それまでの俺の思考のプロセスみたいな要素はかなり削がれるだろう。
今日のテーマは「イメトレ」と「プロ意識」の二つ。
どちらもハウツー本を読まないと普段から考えるような発想ではないが、
ハウツー本はどういうわけか人一倍読んでいるつもりなので、こういう場で俺の考えを書いてみてもいいのだろう。
エントリーシートにも、ここから思いつくエピソードだって書けるのかもしれない。
「イメトレについて」
さて、楽器で難しいパッセージを弾いたり、なんにせよ向かい合った問題に対して逃げられなくなったとき人はイメトレをするとよい(らしい)。
バイト先や研究室でわからないことがあったとき、
先輩や社員さん、先生に訊いたら試しに1回わからないことをやってくれることがあると思う。
結局のところ、それを仮想的に自分で行う作業である。
大体のハウツー本には「成功している自分をイメージしろ」などと書いてあるものである。
事例:
イチロー(大リーグ)は『自分のイメージしていたようなバッティングができた』と言う。
5打数4安打とかが叩き出せたとき、打つべきところで打てたときによくそういうことを言っていた印象がある。
俺は、それを聞いてイチローがどのような絵を頭に浮かべていたのだろうかということをそのコメントが出るたびに考えていた。
そして、その緻密な考え方、ついてくる結果を尊敬、した。
スポーツ選手は精密機械のようになっていくことが最強の形なんだろうか、などといらんことを思いもした。
『プロ意識』ってものについて考えさせてくれるので、好きな選手である。
「プロ意識について」
やるからには手を抜かない、という意味で使っている。
厳密にはそれだけの意味ではないと思う向きもあると思うが、「手を抜かない」という言葉が
それらのあらゆるものを補填するくらい徹底的ならば問題はないだろう。
この概念は浪人時代(5年前)位から俺に発生したものだが、
ここにきて改めて書くのはそれを再考する機会があったからに他ならない。
先日('04/11/07)行ったオーケストラ・ルゼルの演奏会の仕事で、いい仕事は時にはやっていて楽しくもあることを知った。
或いは、あらゆる局面で、自分の力不足(努力不足だろうか)が周りを不幸にさせることがあることを知った。
よい仕事は一種のやさしさである。
最近、携わること携わることに「徹底してやる」ことを考えるようになっている。
結果、自分の理想通りに動けることがある。いつまでも続くとは思えないが、続けられるものなら続けたい。
ちなみにこれは24歳になって掲げた目標の一つでもある。
徹底できるだろうか?