球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

羊の皮をかぶった狐

2006-04-15 | マジメな話
どういう経緯でたどり着いたか忘れたけど、こんなサイトがあった。

サラ金日記だそうで、当面は自分には用のなさそうな話ではある。
しかし、そこに書いてある一つのエントリを観察して、考えさせられた。

ちょっと、引用をさせていただきたいと思う。

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サラ金で勤めていると、
こういったお客は腐るほどいる。
後で、自分は被害者だと騒ぐ。
義理立てした相手を加害者だと罵るぐらいなら、
それは優しさや義理で借金を背負ったのではない。
借金を背負わされた程度で崩れないのが義理だ。
義理を重んじたのであれば、
借金ぐらい甘んじて背負ってやれ。
後で恨み言を言うのなら、
それは義理ではなく見栄だ。

つまり八方美人で優柔不断であったにすぎない。
優しさではない。
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義理と見栄。
自分は可能な限り義理を果たしてきたと思っていたが、それは見栄だったのか!?
なんて誰かがはっとする、不可避のヴェイパーブラスト。
背負ったのは金じゃないけど、心当たりありすぎ(って、誰かが言っている)。

義理って言葉がスキかもしれないそこのあなた、どうだろう。
今苦しいなら、見栄かもよ。

…今僕は義理って言葉を善として、見栄って言葉を悪とみなしている。

誰とでも表面上(ユルく)仲良くできる人を八方美人と呼ぶとか思っていた奴は誰だ?
こっちの方が、よほどヤバイじゃないか。

色々折り合いをつけていかなくちゃ、って、考えた。
コメント
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