【「がん」は実在するのか?】
例の「線虫でがんを早期発見」という記事が、「三人市虎」の勢いでまん延しているようだ。
4/12「産経」の「おやこ新聞」という子ども向け欄は、これをすっかり信じこんで「がん患者の尿のにおいに誘われる線虫」と解説している。
4/17「日経」も九大理学部広津崇亮助教(助手)と発案者の伊万里有田共立病院外科部長園田英人(4月から九大助教)の名前をあげて、「実用の日は近い」(協力企業として日立とJOHNANを挙げている)と報じている。
いずれも「がん」という実体が「存在する」という理解の上に研究が行われ、解説報道が行われている。これは個物とその集合体についての便宜的抽象名詞との関係に関わる古典的な初歩的哲学問題である。
哲学的には「人間」という集合に対する「実体」が存在するというのが、プラトンの「イデア論」であり「実在論」とも呼ばれる。プラトンは「人間」のイデア(アイデア、観念)が天空のどこかに存在し、その原理が個別的に現実化したものが、ソクラテスでありプラトンという個別の人間だと考えた。
ありストレスはそれを批判し、集合名詞は実体としては存在しない。思考の便宜上、人間が発明したものである。イデア論は「より簡単に説明出来るものを、余分な仮説をおくことで複雑に説明している」と批判した。後にオッカムのウィリアムが出て、この「唯名論」をより上手に言い替えたので、「オッカムの剃刀」として知られる。
「がん」も同じ抽象名詞で、多数の発がん遺伝子や分化調節遺伝子がからんでおり、共通した特性などない。
分類状は部位や、発生学的な胚葉の由来により、上皮系の「癌腫」、中胚葉系の「肉腫」、間葉系の「悪性リンパ腫・白血病」などに分けられており、浸潤・転移様式も全く異なる。
「PSAによる前立腺がんの早期発見」など腫瘍マーカーによる早期発見や遺伝子診断による乳がん危険率の早期診断等ならともかく、「すべてのがんに共通する特有な変化」がないかぎり、線虫をもちいて「がんの早期発見を95%の確率でする」ことなどできるはずがない。
「がん細胞の代謝経路」に関して、古典的な生化学が明らかにしたことは、「がん細胞は限りなく胎児の細胞に近づく」というものであり、「グリーンシュタインの法則」と呼ばれる。
肝がんの細胞が胎児期の肝臓がつくる「αフェトプロテイン」を早期から生産し、それゆえにこれが肝がんのマーカーとして利用されるのは、この法則の適用である。
体液中に十分な糖が存在すると、がん細胞は酸素をあまり使わない「嫌気的解糖」を行い、これによりATP分子をつくる。その結果、乳酸を代謝産物として作り出すという共通現象が知られている。しかり、これはがんの末期に起こる「悪液質」の成因とされている。
がんが体液から養分を吸い取る結果、宿主がやせ衰え衰弱する状態が悪液質である。
だが、これらの性質は悪性度の高い、進行がんの特徴であり、「がんの早期発見」には利用できない。
がん細胞はどんどん増殖するが、同時に多数が死滅する。バーキットリンパ腫など腫瘍の倍加時間が48時間という驚くべき速さだが、多数の腫瘍細胞が同時に死滅するので、顕微鏡ではそれが組織切片上に認められる。
細胞が壊れれば、好気的酸化に関連するミトコンドリアが破壊されて、「乳酸脱水素酵素(LDH)」血中に放出される。LDHの異常上昇は、体内における細胞破壊の指標となり、他に原因がなければ「悪性腫瘍の存在」を疑うのが医学的常識である。
わずか50年前、「悪性リンパ腫(ML=malignant lymphoma)」は4種しかなかった。濾胞性リンパ腫、リンパ肉腫、細網肉腫、ホジキン病である。
今日では、「細網肉腫」は細網内皮細胞由来ではなく、リンパ球由来と分かり、この名称が消えた。MLの大部分はリンパ球由来とわかり、「ホジキン病」と「非ホジキン・リンパ腫(NHL)」に二大別されている。しかしその亜型はきわめて増加し、関係する遺伝子異常の細かい違いや同時発現する遺伝子の違い(病状に関係する)などに基づき、60種近くに分類されている。
他のがんも同様で、その分子生物学的な型はどんどん増えている。ある種の抗がん剤が、(例えば同じ乳がんでも)特定のタイプのがんにしか効かないのはそのためである。
1990年代、今のWHO分類の原型である悪性リンパ腫の「REAL分類」が提唱された時、「20種もの病型はあまりにも多すぎて、臨床家には対応できない」という批判が、アメリカの腫瘍内科医から提起された時、「いや現実の患者はひとりひとり、みなすべて異なる。研究が進めば、(数種の悪性リンパ腫という)実体があるのではなく、ひとりひとりに異なった悪性腫瘍がある、ということが明らかになるだろう。臨床医はその生きた患者を個別的に治療するのだ」と述べたのは、オックスフォード大腫瘍内科の教授デービッド・メイソンである。
あれから20余年、血液病理学/血液内科は、メイソンが予言した通りに展開してきた。
それにしても、「がん」は便宜的な病名にすぎないのに、ひとつの実体だと考える「がん研究者」や科学ジャーナリストがまだいるとは…
例の「線虫でがんを早期発見」という記事が、「三人市虎」の勢いでまん延しているようだ。
4/12「産経」の「おやこ新聞」という子ども向け欄は、これをすっかり信じこんで「がん患者の尿のにおいに誘われる線虫」と解説している。
4/17「日経」も九大理学部広津崇亮助教(助手)と発案者の伊万里有田共立病院外科部長園田英人(4月から九大助教)の名前をあげて、「実用の日は近い」(協力企業として日立とJOHNANを挙げている)と報じている。
いずれも「がん」という実体が「存在する」という理解の上に研究が行われ、解説報道が行われている。これは個物とその集合体についての便宜的抽象名詞との関係に関わる古典的な初歩的哲学問題である。
哲学的には「人間」という集合に対する「実体」が存在するというのが、プラトンの「イデア論」であり「実在論」とも呼ばれる。プラトンは「人間」のイデア(アイデア、観念)が天空のどこかに存在し、その原理が個別的に現実化したものが、ソクラテスでありプラトンという個別の人間だと考えた。
ありストレスはそれを批判し、集合名詞は実体としては存在しない。思考の便宜上、人間が発明したものである。イデア論は「より簡単に説明出来るものを、余分な仮説をおくことで複雑に説明している」と批判した。後にオッカムのウィリアムが出て、この「唯名論」をより上手に言い替えたので、「オッカムの剃刀」として知られる。
「がん」も同じ抽象名詞で、多数の発がん遺伝子や分化調節遺伝子がからんでおり、共通した特性などない。
分類状は部位や、発生学的な胚葉の由来により、上皮系の「癌腫」、中胚葉系の「肉腫」、間葉系の「悪性リンパ腫・白血病」などに分けられており、浸潤・転移様式も全く異なる。
「PSAによる前立腺がんの早期発見」など腫瘍マーカーによる早期発見や遺伝子診断による乳がん危険率の早期診断等ならともかく、「すべてのがんに共通する特有な変化」がないかぎり、線虫をもちいて「がんの早期発見を95%の確率でする」ことなどできるはずがない。
「がん細胞の代謝経路」に関して、古典的な生化学が明らかにしたことは、「がん細胞は限りなく胎児の細胞に近づく」というものであり、「グリーンシュタインの法則」と呼ばれる。
肝がんの細胞が胎児期の肝臓がつくる「αフェトプロテイン」を早期から生産し、それゆえにこれが肝がんのマーカーとして利用されるのは、この法則の適用である。
体液中に十分な糖が存在すると、がん細胞は酸素をあまり使わない「嫌気的解糖」を行い、これによりATP分子をつくる。その結果、乳酸を代謝産物として作り出すという共通現象が知られている。しかり、これはがんの末期に起こる「悪液質」の成因とされている。
がんが体液から養分を吸い取る結果、宿主がやせ衰え衰弱する状態が悪液質である。
だが、これらの性質は悪性度の高い、進行がんの特徴であり、「がんの早期発見」には利用できない。
がん細胞はどんどん増殖するが、同時に多数が死滅する。バーキットリンパ腫など腫瘍の倍加時間が48時間という驚くべき速さだが、多数の腫瘍細胞が同時に死滅するので、顕微鏡ではそれが組織切片上に認められる。
細胞が壊れれば、好気的酸化に関連するミトコンドリアが破壊されて、「乳酸脱水素酵素(LDH)」血中に放出される。LDHの異常上昇は、体内における細胞破壊の指標となり、他に原因がなければ「悪性腫瘍の存在」を疑うのが医学的常識である。
わずか50年前、「悪性リンパ腫(ML=malignant lymphoma)」は4種しかなかった。濾胞性リンパ腫、リンパ肉腫、細網肉腫、ホジキン病である。
今日では、「細網肉腫」は細網内皮細胞由来ではなく、リンパ球由来と分かり、この名称が消えた。MLの大部分はリンパ球由来とわかり、「ホジキン病」と「非ホジキン・リンパ腫(NHL)」に二大別されている。しかしその亜型はきわめて増加し、関係する遺伝子異常の細かい違いや同時発現する遺伝子の違い(病状に関係する)などに基づき、60種近くに分類されている。
他のがんも同様で、その分子生物学的な型はどんどん増えている。ある種の抗がん剤が、(例えば同じ乳がんでも)特定のタイプのがんにしか効かないのはそのためである。
1990年代、今のWHO分類の原型である悪性リンパ腫の「REAL分類」が提唱された時、「20種もの病型はあまりにも多すぎて、臨床家には対応できない」という批判が、アメリカの腫瘍内科医から提起された時、「いや現実の患者はひとりひとり、みなすべて異なる。研究が進めば、(数種の悪性リンパ腫という)実体があるのではなく、ひとりひとりに異なった悪性腫瘍がある、ということが明らかになるだろう。臨床医はその生きた患者を個別的に治療するのだ」と述べたのは、オックスフォード大腫瘍内科の教授デービッド・メイソンである。
あれから20余年、血液病理学/血液内科は、メイソンが予言した通りに展開してきた。
それにしても、「がん」は便宜的な病名にすぎないのに、ひとつの実体だと考える「がん研究者」や科学ジャーナリストがまだいるとは…
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