ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【訂正】難波先生より

2013-09-01 11:29:38 | Weblog
【訂正】チャレンジャー号爆発事故について、SFCに住む高校の同級生K君から久しぶりにメールが来た。幾つか誤りがあり、訂正します。
 第一は、乗組員に関して、
 <There were actually seven astronauts and Onizuka's first name is Ellison, not Eric.
 (鬼塚飛行士のフルネームについては、確かにWIKIにEllison Shoji Onizukaとある。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Ellison_Onizuka
  出生地と育った場所もハワイ島コナとあり、ここはM君の寺があったところです。
  私の記憶では彼からOnizukaの愛称が「エリック」だと聞いたので、EricなのかEllicなのかは確かめていません。
  私もM君も英会話力が抜群だったK君の耳とちがって、RとLの音が聞き分けられないので、そこから生じた誤解という可能性はあります。
  Ericは「赤毛のエリック」に見られるように、ヴァイキング系の名前ですが、鬼塚より前に英国に「Ellic」いう名前(ファースト・ネーム)の作家がいますね。
  http://en.wikipedia.org/wiki/Ellic_Howe
 「Ellison」という姓の人は多いようですが、Webster人名事典に載るほどの人はいないようです。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Ellison
  Ellisonの短縮愛称がEllicという確証がないので、ここはやはり私の記憶ちがいと思います。訂正とお詫びをいたします。


 第二の「飛行士の数6人」というのは、リチャード・ファインマンの岩波現代文庫の訳文記述をそのまま写した私の誤り。チェックの不備です。お詫びいたします。確かに写真を見ると乗組員は7人ですね。
 http://en.wikipedia.org/wiki/File:Challenger_flight_51-l_crew.jpg)

 It so happens that January 28 is my birthday. I had been following this particular Shuttle mission carefully as it represented, in my view, America's best social values.
 歴史上の重大事件に接したとき、自分がどこで何をしていたかを覚えているものです。まして貴君の場合誕生日だったのですから、記憶は鮮明だと思います。
 1945年8月6日の朝、私は向原町戸島の疎開先、自宅前の畑で遊んでいました。キノコ雲を見たのを憶えています。
 JFKが暗殺された日、岡山大学の医学部で開かれた医学連の会合に出て、キャンパスを歩いていました。通りすがりの学生が教えてくれました。一緒にいた学友の名前も覚えています。


 チャレンジャー号爆発事故の時は、ホノルルのクィーン病院で講演を終えて、ハワイにおけるエイズの実態を調査し、その後、ロサンゼルスで同様な調査を行う予定でした。当時の日本は「エイズ・パニック」で大変でした。
 当時クワキニ病院は日系人が行く病院で、クィーン病院は主に白人が行く病院でした。病理部長はどちらも日本人で前者は岡山大卒、後者は東北大卒の人でした。お二方とも、いろいろ親切に面倒をみて下さいました。)
 Of the seven astronauts, two were women (Judith Resnik, a Jewish woman with a PhD, Christa McCauliff, a high school teacher), one was an African-American (with a PhD from MIT), one was a Japanese-American; only the remaining three were white Americans.
 私もこのミッションが、60年代の公民権運動にはじまり、キング牧師の暗殺などをへて、「民族のるつぼ」、「サラダ・ボウル」から真の人種平等を樹立しようという象徴的なプロジェクトであることは理解していました。
 メンフィスで、キング牧師が暗殺されたモーテルを訪ねた記憶もあります。
 それだけに、この爆発事故には驚きもし、胸がふさがる思いをしました。


 At the time of the accident, I was teaching at Northwestern University. The accident occurred between my first and second classes of the day. In the second class I gave an impromptu lecture on American social value in contrast to that of Japan and other nations.
 ノースウェスタン大学というと、イリノイ州シカゴですね。ホノルルとは時差が20時間あります。
 1時限目と2時限目の間というと、10:30頃でしょうか?ホノルルでは1月28日の6:30頃ということになります。
 そうすると朝寝坊の私が、「アウトリッガー・ホテル」の部屋で事故をTV生中継で打ち上げを見た、というのは少し怪しくなりますね。
 全局がただちに特別番組に切り換えたはずなので、あるいは少し遅れてそれを見たのかもしれません。
 私に「記憶の変容」がある可能性があります。


 Among other things, I said that it was unthinkable that any other nation in the world could field the kind of team that particular mission assembled; completely merit based. Despite all kinds of other problems America has, in terms of solving racial and gender-based discrimination America has by far come furthest in the world. We are talking about 1986.
 あの事態に、若い学生たちが普段の講義をまじめに聴くとは思えません。貴君が授業内容を切り換えたのは賢明な対応だと思います。
 痛ましい事故を話題にする以上、「アメリカ精神」を強調するのも当然だと思います。その後実際に、黒人の大統領も出たし、女性の国務長官も出た。やがて日系大統領や女性大統領も出現する国だと思います。


 We are talking about 1986. >
 1986年という年は、チェルノブイリ原発事故が起こった年です。


 フィリピンではマルコス独裁体制が崩壊し、彼が夫人のイメルダと共にホノルルに亡命した年です。
 マルコスは現地で亡くなり、墓はオアフ島にあります。カネオヘという北海岸に面した町に、「平等院」という寺があり、その一角に葬られている。仏教では死者はすべて仏ですから、思想、信条、宗教による差別をしません。


 広い公園のような墓地があり、左手の山裾にマルコスの墓があった。墓地公園のあずまやで日系一世の老人に出会い、移民後の苦労話を聞いた記憶があります。
 私は独裁者の末路に興味があり、ルーマニアではチャウシェスクの墓を訪れました。粗末な墓だったが、ちゃんと献花があった。女優だった夫人の墓は別の墓区にあり、こちらの方が立派で、献花も多かった。


 日本では伊豆大島の三原山が209年ぶりに大噴火し、島民全員が本土に避難せざるをえなくなった年です。彼らは離散したまま、ときおり少人数が村に帰れる程度で、10年近く島を離れて暮らしました。今の、福島の人たちと同じです。結局、村に帰らなかった人もいたと思います。英国ブリトルで世界最初の原発解体が行われていますが、20年経っても終わらず、あと50年はかかるそうです。格納容器にまで燃料がメルトダウンしている福島原発の解体は、100年経っても終わらないでしょう。


 アメリカ政府はチャレンジャー号事故の原因を徹底的に調査し、システムを改善して1988年12月にディスカバリー号の打ち上げで、スペースシャトル計画を再開しています。日本の原発事故などへの対応にくらべて、「ここが立派」と言いたかったのです。
 K君コメントをありがとう。パーソナルな問題については、別便で書きます。お大事に。
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