ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【ないものを知る・続】難波先生より

2017-05-15 14:53:32 | 難波紘二先生
【ないものを知る・続】5/8号のメルマガで「ないものを知る」ことの重要性を述べたらSRLのEさんから「大変参考になった」とメールがあった。商業ラボは検体数が多いから、医療現場で発生した検体間違いが気づかれないまま、医療ミスにつながる例もあるかと思われる。

 私がいた臨床病理科は病理・細胞診に特化していたので、液状検体(血液、体液など)は臨床検査科が取り扱っていた。
 だが細胞診でこういうことがあった。若い外来婦長Aさんが乳腺のしこりに気づき、外科を受診したら超音波検査で腫瘤が見つかった。エコー下に針生検し、技師が現場でスライドグラスに塗抹し、持ち帰って細胞診用の染色を行い、細胞検査技師二人が顕微鏡検査をした。
 この下見作業(スクリーニング)の結果は二人とも陰性(ネガティブ=悪性細胞なし)という判定だった。細胞診もその頃は診断の精度が上がり、良性/悪性の区別だけでなく、細胞の種類や上皮性・非上皮性の区別もつき、組織診断に限りなく接近できるようになっていた。
 そこで「細胞診検査報告書」を作り、報告書の上左と上右に細胞診スクリーナーの所見を書き、下欄に細胞診指導医の所見と意見を書くようにした。
 2人のスクリーナーが独立して検査し、一致して「陰性(悪性細胞なし)」と判定したものが間違っていることは、まずない。ところがそれがあった。

 標本を顕微鏡で覗いて見ると、眼下にはどこを見ても均質に正常な乳腺細胞が散らばっている。確かにこれらの細胞自体は良性であり、異常な細胞がない。だが申込書には「触診で腫瘤が触れること、エコー下で腫瘤の針吸引細胞診をおこなったこと」がちゃんと書かれている。
 つまり臨床所見と細胞診の所見との間に重大な乖離があった。
 「これは針の先端が腫瘤をそれて、正常の乳腺組織を吸引したためだ」と考えた。論理的にそれ以外に病理と臨床の所見ギャップを説明するものは考えられなかった。
 そこで、細胞診専門医の「所見・コメント」欄には、「正常乳腺細胞しか認められない。穿刺が腫瘤に当たっていない可能性があるので、検査をやりなおしてほしい」と書いて返した。
 果たして二度目の検査では腫瘤部の細胞がたくさん採取され、「乳腺の腺がん」であることが確定した。
 この話は作家の中島みちさんが、「がん・奇跡のごとく」(文春文庫, 2005/5)に書いているので、興味のある方はお読み願いたい。残念ながらこの看護婦さんは肝転移・脳転移を続発して闘病10余年で亡くなった。私はこの話を自分で吹聴したことはない。中島さんが独自にAさんとその友人のO病棟婦長を取材して、乳がん発見のきっかけを突きとめたのである。

 いま思うと、この例での私の思考過程は次のようになっていたと思う。
1. 標本には正常な乳腺細胞しか認められない
2. しかし臨床的には明らかな腫瘤がある
3. もし腫瘤が良性だとすれば、該当する良性腫瘍細胞があるはずだが、それもない
4. すると腫瘤を針生検の針先が逃している可能性が高い
5. それならエコー下に再生検して確実に腫瘤部から細胞を採取するしかない

 こういう発想は「細胞検査書」を病理診断書と同じサイズ・様式にして、細胞検査士が自ら所見と意見を記入する欄と病理医の最終コメントを記入する欄を設けたから可能になったので、従来のように「1.マイナス、2.プラス・マイナス、3.プラス」という記号式の判定だと、思考時間が短く、エピソード記憶も弱く、記憶に残るインパクトを与えなかっただろうと思う。
 記号式なら瞬時に◯で囲め、間違ったら後で言い訳ができるが、記述式だとまず思考しなければいけないし、書いたものは後で申し開きができない。それが質の高い検査に必要な要素だと思う。


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