ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【言論・思想の自由】難波先生より

2017-02-27 16:15:36 | 難波紘二先生
【言論・思想の自由】
 いわゆる「南京大虐殺」について書いた本を客室に置いているという理由で、ビジネスホテル・チェーン「アパホテル」が韓国と中国からボイコット運動のターゲットになっている。嫌なら手にせず、もっと嫌ならゴミ箱に捨てればよかろうに、と思う。

 私の趣味はホテルの客室に置いてある「聖書」を集めることだ。
 ホテルのスタンプがないから、どこで入手したのかわからないが、英語版の「新訳・旧約聖書」、西アフリカ・コートジボワールで入手した「英独仏訳・新訳聖書」、ギリシアで入手した「ギリシア語版新訳聖書」などが書棚に並んでいる。ほとんどはギデオン協会がホテルに寄贈したもので、泊まり客の持ち帰りを前提としている。有名な「キング・ジェームス版英訳聖書」もあるが、これも買った記憶がない。中には明治初年に米国で印刷された日本語の「旧新約聖書」もある。これは町の古紙回収所で拾ったものだ。旧蔵者の押印があり、どの家から出たか検討がつく。

 それで暇な折りには、有名な文句の原文が日・英・独・仏でどう訳されているかなどを比較検討するのが楽しみだ。「私はアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。」(「新約聖書」ヨハネ黙示録22-12、日本聖書協会、1955)
 私のギリシア語は独学だからいつまで経っても上達しないが、該当箇所をギリシア語聖書で探すくらいはできる。「Ego eimai to Alpha kai to Omega, o parwotos kai oedaxaios.」
 日本語版ではアルファ(α:Alpha)が「アルパ」と訳されている。
 英語のキング・ジェームズ版では「Al’-pha」と第一シラブルにアクセントが来ることが正確に表示されている。オメガ(O-mega-a’)も同様だ。
 フランス語版も「Je suis l’alpha et l’omega, le premier et le dernier.」となっており、αの読みが違うだけで、日本語訳と意味は同じだ。
 ところがドイツ語訳では「Ich bin das A und das O, der Erste und der Letzte.」となっている。αがAに、ΩがOに置換されている。日本語では「私はエーでありオーである」という意味になるから、ギリシア語原文とは丸きり違った意味になる。Oはアルファベット15番目の文字であり、最終文字(der Letzte=オメガ)ではない。

 宗教改革はマルティン・ルターがラテン語を経由しないでギリシア語聖書からドイツ語訳聖書を刊行したことに始まるとされている。マックス・ウェーバーが有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(上・下)」(岩波文庫、1955)を執筆した時、参照したドイツ語聖書はルター訳でなく、19世紀当時の家庭版聖書だと羽入辰郎「マックス・ウェーバーの犯罪」(ミネルヴァ書房、2002/9)が解明し、東大の折原浩と大論争になった。
 ところが双方ともギリシア・アルファベットの最初の文字Αと最後の文字Ωが、なぜドイツ語訳ではΑとOになったのか、それはルター訳に初めからあったのか、それとも聖書の普及版作成のため新教徒教会が勝手にΩをOに変えたのか、肝心要の問題を二人とも見落として、不毛な論争を繰りひろげたと思う。

 イスラエルやアラブのホテルに、このようなバイブル・サービスがあるかどうか知らない。もし泊まる機会があれば、ヘブライ語聖書でもアラビア語・コーランでも、喜んでもらって帰る気でいる。スワヒリ語のコーランであっても、それは変わらない。

 本論に戻る。冒頭のアパホテルがロビーと客室に置こうとしているのは、「南京事件」についての日本語の本だ。ほとんどの外国人は開いても読めないだろう。嫌なら無視するかゴミ箱に捨てたら良かろう。
 総論では「言論の自由」を声高に主張しながら、いざ各論・応用問題となると、たかが日本語の本1冊で(個人ならともかく)集団でホテルをボイコットするなど、「大人げない」としか言いようがない。
 断っておくが私は「南京大虐殺」(1937/12)という事件そのものがあったことを否定はしない。
「ボストン大虐殺」(1770)とは英国兵が植民地ボストンで民間人5名を射殺した事件をいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 英国では「Incident of King Street(キング街事変)」と呼び、米国では「Boston Massacre(ボストン大虐殺)」と呼んでいる。「Massacre」は殺害された人数とは関係ない。日本語では普通これを「大虐殺」を訳している。
 「南京事件」があったことは事実であり、民間人に紛れ込んだ敗残兵との区別がつかず、多数の民間人が殺されたことも事実だ。日本軍総指揮官の松井石根(いわね)大将が東京裁判で責任を問われ、絞首刑となったことも事実だ。(秦郁彦他編「世界戦争犯罪事典」文藝春秋)
 「ボストン大虐殺」では英軍の誰一人として有罪にならなかった。
 「手前味噌」の事実ばかり問題にせず、歴史を比較・相対化して捉える視点が重要だと思う。

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