【連用止め】新聞の見出しを見て、腹立たしく思うのは、この「火星のメタンはごく微量、生物の可能性小さく NASA」というような「連用形止め」の見出しを見つけた場合だ。「小さい」は形容詞だ。その連用形が「小さく」である。連用形は後に動詞(「ない、ある」など)を付けねばならない。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2969448/11378147
「書く」の「く」は動詞の終止形だが、「小さく」の「く」は形容詞「小さい」の連用形で活用形が異なる。そういうことをどれだけ意識して新聞記者は記事を書いているのであろうか?
ドイツ語と日本語では否定詞が文の後に付くから、文の初めの方で述べてあることが、最後の一語「nicht」とか「ない」により、全否定されることがある。記事を読めば、「火星にはメタンがほとんどないから、生命が存在する可能性は低い とNASAが発表」という意味だとわかる。しかし、見出しの「小さく」では、後に「ある」が来るのか「ない」が来るのかで、意味が全く異なる。
元もと見出しやリード文は本文の要約としてあるので、記事本文の「体言止め」と異なり、用言(動詞、形容詞、形容動詞)を連用形で用いるのは邪道だろう。「名もなく貧しく美しく」(映画題名)のように、わざと解釈に余韻を持たせるために、形容詞の連用形を用いる例はある。映画のタイトルは文学の一種だが、新聞記事は文学ではない。その基本使命は正確な情報伝達にある。
私は本当は文法が大嫌いだ。同じ性質の品詞なのに、日本語と英語とドイツ語では、分類の仕方も名前もぜんぜん違う。だから文法など無視して、各国語を学んでいる。15万年前にはどうせひとつの言葉だったのだから、同じような文法がある。ただ国ごとに文法学者がいるから、飯のタネに異なった文法があるといっているにすぎない、と思っている。
現に日本語だけでも、橋本文法、時枝文法、山田文法など何種類もある。いずれも、日本語ワープロを開発する時には、ほとんど役に立たなかったという。
新聞でときおり見かける見出しの「連用(形)止め」には、引っかかるものを感じていたが、なぜおかしいかを文法的に説明できなかった。
それで高校時代の「日本語文法書」を2冊ほど読み、やっと謎が解けたので、余計なことを書いた。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2969448/11378147
「書く」の「く」は動詞の終止形だが、「小さく」の「く」は形容詞「小さい」の連用形で活用形が異なる。そういうことをどれだけ意識して新聞記者は記事を書いているのであろうか?
ドイツ語と日本語では否定詞が文の後に付くから、文の初めの方で述べてあることが、最後の一語「nicht」とか「ない」により、全否定されることがある。記事を読めば、「火星にはメタンがほとんどないから、生命が存在する可能性は低い とNASAが発表」という意味だとわかる。しかし、見出しの「小さく」では、後に「ある」が来るのか「ない」が来るのかで、意味が全く異なる。
元もと見出しやリード文は本文の要約としてあるので、記事本文の「体言止め」と異なり、用言(動詞、形容詞、形容動詞)を連用形で用いるのは邪道だろう。「名もなく貧しく美しく」(映画題名)のように、わざと解釈に余韻を持たせるために、形容詞の連用形を用いる例はある。映画のタイトルは文学の一種だが、新聞記事は文学ではない。その基本使命は正確な情報伝達にある。
私は本当は文法が大嫌いだ。同じ性質の品詞なのに、日本語と英語とドイツ語では、分類の仕方も名前もぜんぜん違う。だから文法など無視して、各国語を学んでいる。15万年前にはどうせひとつの言葉だったのだから、同じような文法がある。ただ国ごとに文法学者がいるから、飯のタネに異なった文法があるといっているにすぎない、と思っている。
現に日本語だけでも、橋本文法、時枝文法、山田文法など何種類もある。いずれも、日本語ワープロを開発する時には、ほとんど役に立たなかったという。
新聞でときおり見かける見出しの「連用(形)止め」には、引っかかるものを感じていたが、なぜおかしいかを文法的に説明できなかった。
それで高校時代の「日本語文法書」を2冊ほど読み、やっと謎が解けたので、余計なことを書いた。
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