【STAP報道検証7】
5/24、「STAP細胞」でGoogle検索したら419万件のヒットがあり、なんとWIKIの項目に次いで「泉ブログ」に転載された私のコメントが2位に浮上していた。馬屋原先生の予言どおりになった…
新聞は「毎日」、「産経」、「中国」の3紙を購読している。ニュースそのものはGoogleニュースで読み、「修復腎」、「福島原発」、「STAP」などはニュースとGoogleメールで「検索」をかけてあるから、英語、日本語で自動的に情報が集まる。
新聞はその情報を補うような解説報道を重視する。重要な記事は切り抜いてクリアホルダーに保存しておく。
「報道検証」のためホルダーを開いて驚いた。「STAP細胞」関係の切り抜きは2/1「産経」<加速する万能細胞研究:新たな台風の目、夢の治療へ相乗効果も>という礼賛記事と2/6「毎日」<独創の系譜:海越え連携、STAP細胞:常識覆した日米トップの研究者>というよいしょ記事しか切り抜いていない。日本紙の報道に価値なしと見て、ニューヨークタイムズ、ボストン・グローブ、ワシントンポストや「ノフラー・ブログ」を読みに行ったので、保存していないのだ。
科学雑誌「ニュートン」4月号の「STAP細胞は、何がすごいのか?」という記事もひどかった。総じて日本語メディアは、初動でみなこけたと見てよいだろう。せめてアメリカの批判的研究者のコメントぐらいは載せ、異論もあることを知らせるべきであった。ボストン・グローブ紙の記事など、バカンティのうさん臭さや、小保方が生物学の知識がないのを評価したというコメントを彼から取っており、日本紙に転載されていたら、アラームは初期から鳴ったはずだ。それをするのが「バランス感覚」というものだ。
「科学部」だけが、特別に質が悪いとは思えないから、政治部も経済部も社会部も同じようなものだと考える方が妥当だろう。
そうなるとメディアが「アベノミクス」、「集団安全保障」、「TPP」、「改憲」などを報道・論議する際の質も問題になるだろう。昭和の初め「安部定」事件が、日本の大陸侵略の「目くらまし」の役割を果たした事例を挙げて、憂うるのはそのためだ。
幸い2/15「毎日」の「理研、STAP論文調査。<不自然な画像>と指摘」という記事を皮切りに、懐疑的報道が増え5月に入ると「批判一色」になった。しかし事件は単純で、理研が当初から「外部委員会」を発足させ、調査報告書の公表と同時に小保方を「懲戒解雇」し、理事長なり理研CDCセンター長が職権で論文撤回を命じておけば、とっくに片付いたはずだ。「シェーン事件」ではベル研究所はそうした。
日本版ORIの設置についての議論はまったく進まない。どう再発を予防しようというのであろうか…
「博士」(PhD)のつくり過ぎも問題だ。「ピペット土方」(ピペド)という言葉も生まれている。過当競争は科学不正の温床になるのは、わかったことだ。研究費を増やし、博士を増産すれば次世代のバイオ産業が勃興し、医療が経済を引っ張るというような単純なものではない。「ポスドク」の多くは定職がなく、生活保護ぎりぎりの暮らしを送っている。欠けているのは「学問そのものの内在的発展の論理」に基づいた戦略的科学政策だ。
科学的詰めがあいまいなまま行われたニクソン大統領の「対がん戦争」も、日本の「対がん計画」も、「地震予知計画」もすべて失敗している。
博士過剰については植木英介『博士漂流時代』(ディスカバー21)をいずれ紹介する予定だ。
切り抜きを読み返していて、面白いことに気づいた。
「STAP細胞は200回できました」といった小保方は、2/6「毎日」の根本、斎藤記者によるインタビューで、ハーヴァードで幹細胞研究についてプレゼンする機会があり、「200本の論文を寝ずに読んで発表した」と述べている。昔読んだ人類学の本に、「ホッテントット(今はコイ・サン族)は2以上の数が数えられない。1と2はあるが、それより多くは”many”という」とあったのを思い出した。「200」は小保方にとって「たくさん」という意味なのだ。
これをまともに受けとめて、「1回つくるのに、何日かかり、200回では何年かかるから、勘定があわない」とブログに書き込んだ人もいるが、「小保方語」の研究が足りない。
「メディア・リテラシー」が重要となるのはこれからだろう。
「パソコン遠隔操作」事件の片山容疑者が「自分が真犯人だ」と自白して事件が解決してからテレビの資料映像を見ると、薄ら笑顔を浮かべているところなど「邪悪でふてぶてしく」見えてくる。同様に2/6「毎日」の小保方写真を見ると、「やけに大きな鼻の穴が前を向いている、知性の足りない大年増」に見えてくるから不思議だ。
竹内久美子の恩師、動物学者日高敏隆が述べたように、動物も人間も「イリュージョンなしに世界は見えない」ことを痛感する。
「映画STAP細胞事件」を作ったらどうか、という話が「武田元介ブログ」で盛り上がっている。これはドラマ性のある事件だから当たるだろう。感情的な応酬が終わってよかった。最近は観ないが、昔は私も映画をよくみた。科学・医学・医療を扱った映画はあまりなくて、邦画では「赤ひげ」(1965:東宝)、「白い巨塔」(1966:大映)、「花岡青洲の妻」(1967:大映)くらいか…。書き込んでいる人は「五社協定」を知っているから私と同年代か。
洋画では「チャイナ・シンドローム」(1979)くらいしか記憶にない。G.ロイ・ヒル監督の「スティング」、伊丹十三監督の「マルサの女」みたいな、コミカルタッチの映画にすると面白いだろう。主演女優とシナリオライターを誰にするかが問題だが…
渡辺淳一に「麗しき白骨」(集英社文庫,1984)という骨髄移植を扱った小説があることを知り、注文した。
5/24、「STAP細胞」でGoogle検索したら419万件のヒットがあり、なんとWIKIの項目に次いで「泉ブログ」に転載された私のコメントが2位に浮上していた。馬屋原先生の予言どおりになった…
新聞は「毎日」、「産経」、「中国」の3紙を購読している。ニュースそのものはGoogleニュースで読み、「修復腎」、「福島原発」、「STAP」などはニュースとGoogleメールで「検索」をかけてあるから、英語、日本語で自動的に情報が集まる。
新聞はその情報を補うような解説報道を重視する。重要な記事は切り抜いてクリアホルダーに保存しておく。
「報道検証」のためホルダーを開いて驚いた。「STAP細胞」関係の切り抜きは2/1「産経」<加速する万能細胞研究:新たな台風の目、夢の治療へ相乗効果も>という礼賛記事と2/6「毎日」<独創の系譜:海越え連携、STAP細胞:常識覆した日米トップの研究者>というよいしょ記事しか切り抜いていない。日本紙の報道に価値なしと見て、ニューヨークタイムズ、ボストン・グローブ、ワシントンポストや「ノフラー・ブログ」を読みに行ったので、保存していないのだ。
科学雑誌「ニュートン」4月号の「STAP細胞は、何がすごいのか?」という記事もひどかった。総じて日本語メディアは、初動でみなこけたと見てよいだろう。せめてアメリカの批判的研究者のコメントぐらいは載せ、異論もあることを知らせるべきであった。ボストン・グローブ紙の記事など、バカンティのうさん臭さや、小保方が生物学の知識がないのを評価したというコメントを彼から取っており、日本紙に転載されていたら、アラームは初期から鳴ったはずだ。それをするのが「バランス感覚」というものだ。
「科学部」だけが、特別に質が悪いとは思えないから、政治部も経済部も社会部も同じようなものだと考える方が妥当だろう。
そうなるとメディアが「アベノミクス」、「集団安全保障」、「TPP」、「改憲」などを報道・論議する際の質も問題になるだろう。昭和の初め「安部定」事件が、日本の大陸侵略の「目くらまし」の役割を果たした事例を挙げて、憂うるのはそのためだ。
幸い2/15「毎日」の「理研、STAP論文調査。<不自然な画像>と指摘」という記事を皮切りに、懐疑的報道が増え5月に入ると「批判一色」になった。しかし事件は単純で、理研が当初から「外部委員会」を発足させ、調査報告書の公表と同時に小保方を「懲戒解雇」し、理事長なり理研CDCセンター長が職権で論文撤回を命じておけば、とっくに片付いたはずだ。「シェーン事件」ではベル研究所はそうした。
日本版ORIの設置についての議論はまったく進まない。どう再発を予防しようというのであろうか…
「博士」(PhD)のつくり過ぎも問題だ。「ピペット土方」(ピペド)という言葉も生まれている。過当競争は科学不正の温床になるのは、わかったことだ。研究費を増やし、博士を増産すれば次世代のバイオ産業が勃興し、医療が経済を引っ張るというような単純なものではない。「ポスドク」の多くは定職がなく、生活保護ぎりぎりの暮らしを送っている。欠けているのは「学問そのものの内在的発展の論理」に基づいた戦略的科学政策だ。
科学的詰めがあいまいなまま行われたニクソン大統領の「対がん戦争」も、日本の「対がん計画」も、「地震予知計画」もすべて失敗している。
博士過剰については植木英介『博士漂流時代』(ディスカバー21)をいずれ紹介する予定だ。
切り抜きを読み返していて、面白いことに気づいた。
「STAP細胞は200回できました」といった小保方は、2/6「毎日」の根本、斎藤記者によるインタビューで、ハーヴァードで幹細胞研究についてプレゼンする機会があり、「200本の論文を寝ずに読んで発表した」と述べている。昔読んだ人類学の本に、「ホッテントット(今はコイ・サン族)は2以上の数が数えられない。1と2はあるが、それより多くは”many”という」とあったのを思い出した。「200」は小保方にとって「たくさん」という意味なのだ。
これをまともに受けとめて、「1回つくるのに、何日かかり、200回では何年かかるから、勘定があわない」とブログに書き込んだ人もいるが、「小保方語」の研究が足りない。
「メディア・リテラシー」が重要となるのはこれからだろう。
「パソコン遠隔操作」事件の片山容疑者が「自分が真犯人だ」と自白して事件が解決してからテレビの資料映像を見ると、薄ら笑顔を浮かべているところなど「邪悪でふてぶてしく」見えてくる。同様に2/6「毎日」の小保方写真を見ると、「やけに大きな鼻の穴が前を向いている、知性の足りない大年増」に見えてくるから不思議だ。
竹内久美子の恩師、動物学者日高敏隆が述べたように、動物も人間も「イリュージョンなしに世界は見えない」ことを痛感する。
「映画STAP細胞事件」を作ったらどうか、という話が「武田元介ブログ」で盛り上がっている。これはドラマ性のある事件だから当たるだろう。感情的な応酬が終わってよかった。最近は観ないが、昔は私も映画をよくみた。科学・医学・医療を扱った映画はあまりなくて、邦画では「赤ひげ」(1965:東宝)、「白い巨塔」(1966:大映)、「花岡青洲の妻」(1967:大映)くらいか…。書き込んでいる人は「五社協定」を知っているから私と同年代か。
洋画では「チャイナ・シンドローム」(1979)くらいしか記憶にない。G.ロイ・ヒル監督の「スティング」、伊丹十三監督の「マルサの女」みたいな、コミカルタッチの映画にすると面白いだろう。主演女優とシナリオライターを誰にするかが問題だが…
渡辺淳一に「麗しき白骨」(集英社文庫,1984)という骨髄移植を扱った小説があることを知り、注文した。
だから「死」があっても映画化した。
しかし、心臓移植の和田教授問題は映画化されていないと思う。
実際に被験者は亡くなり、心臓提供者の「死」も不透明のままではドラマ化しにくいのか。
STAP映画は誰も死んでいないのでコミカルな映画化でも良いでしょうけど、監督に北野武はダメだ。
知り、合点がいきました。あと金子みすゞさんの生涯も演じられて、結構好きな女優さんなので、小保方さんは如何なものかと?あと北野武さんは私も反対です。コメディアンとしてなら兎も角、監督としては駄目だとおもいます。酒井様はご存知ないかもしれませんが、柳栄二郎という役者さんがおりました。私は野依さんがこの役者さんとかぶってしまいます。野依さんが入るとドラマの重みが増すような気がしましたが。あと、難波様の文章の中に「赤ひげ」「華岡青洲の妻」等どれも思い出深く「チャイナシンドローム」は今福島の事がありましたから、テレビで放映されるといいですね。ジャックレモンがよかったです。
それなら野依氏にピッタリかと。天国から呼んできましょう。
そして、肝心な脇役を忘れていました。
擁護派の武田邦彦教授です。
この方には御本人に登場していただきたいですね。
博士役をさせたら右に出る者がいない「江川宇礼雄」は
実際にドイツとのハーフだったので、日本人離れした容貌で髭もよく似合っていました。
久我美子の夫で「平田昭彦」という俳優も教授にはピッタリの人物で、江川氏とともに円谷プロのウルトラシリーズなどで博士役を演じていたのを幼少の頃によく見ておりました。
それは映画が盛んだったからですよ。
映画界が萎んで俳優・女優陣はテレビへと流れ込んだのです。
宝田明氏が出演する怪獣映画を、子供の頃の夏休みに映画館で見た記憶があります。
その宝田明も気が付けば俳優としてではなく、ミスユニバースの司会として有名だったりしましたが、往年の俳優・女優が健在なのはなんだか嬉しいですね。
そして2014年度にアメリカ版「ゴジラ」に出演。
なんと60年後にまでゴジラに登場する俳優なんて、この人しかいないでしょう。