今年は天候が不順で、昨夜、家内が私の赤い軽を運転して、西高屋駅脇のファミマに禁煙器具「アイコス」(予約制)を受け取りに行ったら、店長はもういなくてアルバイトの若い女性店員に替わっていた。家内が受け取った店長の電話では「予約されていたので、定価から3000円引きにします」という話だったのに、それが夜の店員には伝わっていなかったので、「店長のいる時に取りに来る」と言って、ついでに高屋のショッピングモールでチリ産赤ワインとおつまみを買って帰った。
その時に、西空を見たら「眉月(まゆづき)」よりももっと細い月が出ていた。それが「赤い月」だった。大気中に細かい塵埃(じんあい)が浮遊していて、それが太陽の反射光のうち、波長の長い赤以外の色を吸収してしまうので、こういう現象が起きる。こんな月は初めて見た。
人の顔を撮影する時、戸外では夕方がよいと米国の病理医に教わった。青系統の色が大気中で吸収されるので、「軟らかい調子」の写真になるそうだ。まだカラーフィルム・カメラが全盛時の1970年代の話だ。
今日、3/31(金)は朝から大粒の雪が溶けたような雨が降っている。
前に高層マンションの14階に住んでいた時、ベランダから見ると雪が降っているのに、エレベーターで地上階まで下りてみると、なんと雨が降っていたという経験がある。この雨も普通の雨ではなく、雪が地表近くで溶けたものだと分かる降り方だ。
北側窓の外気温は9:00には零度だった。
正午頃から、雨は大きなボタン雪に変わった。
15:00の外気温は1℃である。曇っていて、初め地表からの地熱が作用する間は、大きな雨滴になっていたが、次第に地表温の影響がなくなり、地上まで雪のまま降るようになったのであろう。高層マンションでなくても、同様の現象が見られることを初めて知った。
雪は見る見る積もって、車の屋根も家の屋根も、木々の枝も真っ白になった。写真撮影はしたがファイルの容量が大きくなるので、次号に掲載したい。
どこかの県立高校の学生と教師が雪崩に巻き込まれて死んだが、スキー場の局地気候は春には変化しやすいので、警戒が必要だ。それに参加費から、傷害保険を掛けておくのは常識だろう。家内はレストランを開業する前は、地域の田圃を借りて、昆虫やメダカなど淡水魚を育てる小さな自然生態公園をボランティアで作っていた。参加者の子供を集めるときには、親の承諾書を提出してもらい、行事時間中の傷害保険をかけていた。子供だから何をするかわからないからだ。
この手法はアメリカの幼稚園と小学校の方法から学んだものだ。
高校の時に学校から教師に引率されて長野県の白馬岳に登ったことをよく記憶している。雪渓がまだ残っていた。指導教官は登山部の顧問をしている教官でウィンター・スポーツのベテランだった。サン=テクジュペリの小説「人間の土地」に「虐殺されたモーツアルト」というメタファーが出てくる。死んだ生徒の中にもモーツアルトがいたかも知れないと思うと、胸が痛む。
「地平線」というものを初めて見たのはこの白馬岳に向かう、上りの列車の車窓からだった。1950年代の後半で、まだ都市化が進んでおらず、一面の田圃や畑の奧に地平線があり、はるか向こう水平線の彼方にアルプスの連山が見えた。
後に留学中にアメリカ西部の大平原を車で走った時に、本物の地平線を見た。
コロンブスは港に入る船は最初に帆が見え、近づくにつれて船体が見えるようになることに気づき、地球が丸いことを直感したという。
地平線の彼方にある巨木は、最初に梢の繁みが見え、近づくにつれて幹が見えることで、コロンブスと同じ体験をした。確かに地球は丸いのだ。
しかし、天候がこうも不順では、ビニールハウスでの野菜栽培も遅れるだろう。そのビニールハウスも近ごろは後継者がおらず、破れ放題になっているところが目立つようになった。
「記事転載は事前にご連絡いただきますようお願いいたします」
その時に、西空を見たら「眉月(まゆづき)」よりももっと細い月が出ていた。それが「赤い月」だった。大気中に細かい塵埃(じんあい)が浮遊していて、それが太陽の反射光のうち、波長の長い赤以外の色を吸収してしまうので、こういう現象が起きる。こんな月は初めて見た。
人の顔を撮影する時、戸外では夕方がよいと米国の病理医に教わった。青系統の色が大気中で吸収されるので、「軟らかい調子」の写真になるそうだ。まだカラーフィルム・カメラが全盛時の1970年代の話だ。
今日、3/31(金)は朝から大粒の雪が溶けたような雨が降っている。
前に高層マンションの14階に住んでいた時、ベランダから見ると雪が降っているのに、エレベーターで地上階まで下りてみると、なんと雨が降っていたという経験がある。この雨も普通の雨ではなく、雪が地表近くで溶けたものだと分かる降り方だ。
北側窓の外気温は9:00には零度だった。
正午頃から、雨は大きなボタン雪に変わった。
15:00の外気温は1℃である。曇っていて、初め地表からの地熱が作用する間は、大きな雨滴になっていたが、次第に地表温の影響がなくなり、地上まで雪のまま降るようになったのであろう。高層マンションでなくても、同様の現象が見られることを初めて知った。
雪は見る見る積もって、車の屋根も家の屋根も、木々の枝も真っ白になった。写真撮影はしたがファイルの容量が大きくなるので、次号に掲載したい。
どこかの県立高校の学生と教師が雪崩に巻き込まれて死んだが、スキー場の局地気候は春には変化しやすいので、警戒が必要だ。それに参加費から、傷害保険を掛けておくのは常識だろう。家内はレストランを開業する前は、地域の田圃を借りて、昆虫やメダカなど淡水魚を育てる小さな自然生態公園をボランティアで作っていた。参加者の子供を集めるときには、親の承諾書を提出してもらい、行事時間中の傷害保険をかけていた。子供だから何をするかわからないからだ。
この手法はアメリカの幼稚園と小学校の方法から学んだものだ。
高校の時に学校から教師に引率されて長野県の白馬岳に登ったことをよく記憶している。雪渓がまだ残っていた。指導教官は登山部の顧問をしている教官でウィンター・スポーツのベテランだった。サン=テクジュペリの小説「人間の土地」に「虐殺されたモーツアルト」というメタファーが出てくる。死んだ生徒の中にもモーツアルトがいたかも知れないと思うと、胸が痛む。
「地平線」というものを初めて見たのはこの白馬岳に向かう、上りの列車の車窓からだった。1950年代の後半で、まだ都市化が進んでおらず、一面の田圃や畑の奧に地平線があり、はるか向こう水平線の彼方にアルプスの連山が見えた。
後に留学中にアメリカ西部の大平原を車で走った時に、本物の地平線を見た。
コロンブスは港に入る船は最初に帆が見え、近づくにつれて船体が見えるようになることに気づき、地球が丸いことを直感したという。
地平線の彼方にある巨木は、最初に梢の繁みが見え、近づくにつれて幹が見えることで、コロンブスと同じ体験をした。確かに地球は丸いのだ。
しかし、天候がこうも不順では、ビニールハウスでの野菜栽培も遅れるだろう。そのビニールハウスも近ごろは後継者がおらず、破れ放題になっているところが目立つようになった。
「記事転載は事前にご連絡いただきますようお願いいたします」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます