【檻の中の集落】
前に【檻の中】
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/da0c7b30a373b07ace7a3e12a8d137e8
【檻の中の里山】
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/82aced8203a95db9702305b2da0528f3
で、茂木浩介+NHK広島取材班『里山資本主義』(角川ONEテーマ21新書)はデタラメで、都会人の幻想にすぎず、現実は獣害のため「檻の中の生活」になっているのが、里山の限界集落だと述べた。「檻の中」でGoogle検索すると約8万件のヒットがあり、1,2位をこの記事が占めている。
5/31、快晴で午前中に北側の戸外温計が30℃を突破した日、新聞販売店の店主が集金に来た。彼から情報を仕入れるのが楽しみで、自動引き落としにはしていない。7月から「日経」に「修復腎移植」小説の連載が始まったら、サービス配達してくれるそうだ。
廃屋のカメラハンティングをしていることを話し、見たかぎり、半径30キロ圏内の里山集落は「檻の中」にある、という話をしたら、「朝早く新聞を配っていると、鹿が40頭から60頭の群をなして田圃にいるのを見かけることがある。群が道路を横断して山に引きあげるのを、車を止めて待つこともある」という話をしてくれた。
場所を聞いたら、4月に鹿の撮影に成功した鷹巣山の南麓、「カドーレ」という牧場兼アイスクリーム屋がある辺りとのことだった。福富町の上竹仁地区だ。付近の「ひのき園」という団地も同様に、鹿の群の出没地になっているという。「新聞を配り始めた頃は、こんなことはなかった」という。彼が心臓病で入院し、ペースメーカーを入れ、看病していた父親が亡くなり、現在地に立派な販売店を建てたものの、従業員を維持できなくなったのは、10年ちょっと前のことだ。私がいる地区の配達は、同じ集落の農婦がアルバイトで担当している。
1990年代初めのバブル破裂の後、不況が続いた。「失われた10年」とも「20年」ともいう。日本経済のカンフル剤としてムダな公共事業がたくさん行われた。
その中に「林道整備事業」もあった。この辺りでも「通学路」という名目で東谷集落と後谷集落の間に、山を切りひらいて立派な舗装道路が作られた。しかし急な峠道だから自転車が通行できず、生徒は誰も利用しない。その小学校も来年は廃止になる。戸野集落から能良集落へは何と2車線の農道が峠まで完成し、その先が未着工のまま放置されている。途中に家がなく、誰も利用しないからアスファルトの割れ目にペンペン草が生えている。
問題の上竹仁地区では、標高900mの鷹巣山を山腹600m地点で周回し、向原と豊栄へ通じる舗装した林道が整備された。利用者はまずいない。
住宅が洋風化し、安い洋材に押されて林業は金にならず、高齢化もあり、山を必要とする生活は消えた。みな「山を買ってくれる」のを望んでいた。それで不要な林道があちらにも、こちらにもできた。農村は都会人の楽しみのために、慈善事業で美しい里山を維持しているわけではない。見事な棚田もそうだ。あれは貧しさの産物だ。「同情するなら金をくれ」、「家なき子」のセリフだ。
かつては手入れされた山の、樹下の「けものみち」を通って移動していた鹿やイノシシは、人間が樹の手入れやキノコ狩りをしなくなったために、食糧の木の実やキノコに不自由するようになった。獣道も消えた。獣の伝統も世代交番により消えた。新しい獣の世代は、整備された林道を歩いて、人間が作った豊富な農作物を食糧源とするようになった。中にはわが家の前庭に来て、芝を掘り返してミミズを食うイノシシもいる。いずれも過去15年間の変化だ。
里山の住宅はどこでも天災にそなえて、3本以上の脱出路を用意している。わが家では前庭から国道へ行く2本の通路があり、裏庭からも2本の通路で北か東へ行けば、林道や国道に抜けられるようになっている。このため里山の生活道は四通八達していて、田圃や畑に通じている。「撃たれる心配」がなければ、害獣にとってこれほど便利な通路はない。ヒノキ林のある、歩きやすいところから林道に降りて、広い道を進み、生活道に入って、芋や青菜や稲や低い果樹を漁れる。
これを個別防衛しようとして、目の前のことしか考えない農民たちが、「市から柵の無料貸し出しがある」と聞いて、田や畑を個別に柵で囲って、「檻の中の集落」が出現した。「いとあさましく、おろかというもあわれなり」。(「枕草子」)
それに醜い電柱と電線、電話線だ。都会人の目は、電柱、電線、電話線にフィルターをかけて見ているから、これに気づかない。試みにカメラで風景を撮影してみると良い。カメラはすべてを写す。
最近では林道と生活道の接点を遮断する動きも出てきた。(下図)
自宅裏の林道は迂回路でここにも通じるのだが、青いネットで封鎖されている。左手にはコンクリート型枠をつくる工場がある。青いネットに付いた看板に「付近の農家からの苦情により、通行止めにします」とあった。ネットの向こうは元養蜂場で、放置された巣箱に蜜を集めるミツバチを観察していたのだが…。
右手のネットはその農家のデフェンスである。だが、なに、獣は工場の西側にある別の林道を通って、夜間に国道伝いに移動するから、農家に生活道が通じているかぎり、侵入は防げない。裏の林道の西側から隣の谷に降りる道は、谷の住民が獣害防止のために塞いでしまった。この「大友林道」は西端が行き詰まりになっているから、避難路としては役に立たなくなった。こうして「里山の美観」は日々、損なわれていく。美観という「資本」を失った里山に、どんな「資本主義」が成り立つのか…。「里山資本主義」は幻想だ。
昔は野犬がいて、群をなして害獣を襲っていた。が、狂犬病などが流行る恐れがあり、保健所による「野良犬狩り」の結果、野犬はほぼいなくなった。「オオカミ導入論」も出ているが、バカもやすみやすみ言ってもらいたい。オーストラリアへのイヌの導入、沖縄へのハブの導入が何をもたらしたか。ペットでもやがて逃げ出して野生化する。付近の池にはブラックバスやミシシッピ・ミドリガメが沢山いるし、川にはヌートリアがいる。
結局のところ策は二つだろう。ひとつは里山をぐるりと柵で囲み、林道に「識別センサー」で作動する自動ゲートを設け、ヒトと車は通れるが、害獣が里地に近づけないようにすること。これをやると、彼らの生活圏が狭い範囲に限定されるから、遺伝的多様性の喪失、疫病流行による絶滅などにより、やがて柵単位で、絶滅して行くだろう。それが望ましいかどうか…。
もう一つの方法は、「積極的ハンティング」だ。スポーツハンティングを奨励し、若者に銃の扱いを教えたらよい。射撃はオリンピックの種目にあるのに、日本の選手は自衛官と警察官ばかりというのもおかしい。
普通の銃弾でなく、高性能空気銃を使って、痲酔弾を打ちこめば、生きたまま捕獲できる。1頭5~10万円で、仕留めた獲物を自治体が買い上げ、疫病検査ののち、レストランに販売したらよい。「猟友会」はどこも高齢化で、消滅寸前らしい。若者の参加を促すべきだ。
グリーン・ピースは「鯨には知性がある」という理屈により、日本の捕鯨に反対しているので、鹿やイノシシの捕獲には反対しないだろう。むしろ国内の動物愛護団体が問題だろう。
前に【檻の中】
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/da0c7b30a373b07ace7a3e12a8d137e8
【檻の中の里山】
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/82aced8203a95db9702305b2da0528f3
で、茂木浩介+NHK広島取材班『里山資本主義』(角川ONEテーマ21新書)はデタラメで、都会人の幻想にすぎず、現実は獣害のため「檻の中の生活」になっているのが、里山の限界集落だと述べた。「檻の中」でGoogle検索すると約8万件のヒットがあり、1,2位をこの記事が占めている。
5/31、快晴で午前中に北側の戸外温計が30℃を突破した日、新聞販売店の店主が集金に来た。彼から情報を仕入れるのが楽しみで、自動引き落としにはしていない。7月から「日経」に「修復腎移植」小説の連載が始まったら、サービス配達してくれるそうだ。
廃屋のカメラハンティングをしていることを話し、見たかぎり、半径30キロ圏内の里山集落は「檻の中」にある、という話をしたら、「朝早く新聞を配っていると、鹿が40頭から60頭の群をなして田圃にいるのを見かけることがある。群が道路を横断して山に引きあげるのを、車を止めて待つこともある」という話をしてくれた。
場所を聞いたら、4月に鹿の撮影に成功した鷹巣山の南麓、「カドーレ」という牧場兼アイスクリーム屋がある辺りとのことだった。福富町の上竹仁地区だ。付近の「ひのき園」という団地も同様に、鹿の群の出没地になっているという。「新聞を配り始めた頃は、こんなことはなかった」という。彼が心臓病で入院し、ペースメーカーを入れ、看病していた父親が亡くなり、現在地に立派な販売店を建てたものの、従業員を維持できなくなったのは、10年ちょっと前のことだ。私がいる地区の配達は、同じ集落の農婦がアルバイトで担当している。
1990年代初めのバブル破裂の後、不況が続いた。「失われた10年」とも「20年」ともいう。日本経済のカンフル剤としてムダな公共事業がたくさん行われた。
その中に「林道整備事業」もあった。この辺りでも「通学路」という名目で東谷集落と後谷集落の間に、山を切りひらいて立派な舗装道路が作られた。しかし急な峠道だから自転車が通行できず、生徒は誰も利用しない。その小学校も来年は廃止になる。戸野集落から能良集落へは何と2車線の農道が峠まで完成し、その先が未着工のまま放置されている。途中に家がなく、誰も利用しないからアスファルトの割れ目にペンペン草が生えている。
問題の上竹仁地区では、標高900mの鷹巣山を山腹600m地点で周回し、向原と豊栄へ通じる舗装した林道が整備された。利用者はまずいない。
住宅が洋風化し、安い洋材に押されて林業は金にならず、高齢化もあり、山を必要とする生活は消えた。みな「山を買ってくれる」のを望んでいた。それで不要な林道があちらにも、こちらにもできた。農村は都会人の楽しみのために、慈善事業で美しい里山を維持しているわけではない。見事な棚田もそうだ。あれは貧しさの産物だ。「同情するなら金をくれ」、「家なき子」のセリフだ。
かつては手入れされた山の、樹下の「けものみち」を通って移動していた鹿やイノシシは、人間が樹の手入れやキノコ狩りをしなくなったために、食糧の木の実やキノコに不自由するようになった。獣道も消えた。獣の伝統も世代交番により消えた。新しい獣の世代は、整備された林道を歩いて、人間が作った豊富な農作物を食糧源とするようになった。中にはわが家の前庭に来て、芝を掘り返してミミズを食うイノシシもいる。いずれも過去15年間の変化だ。
里山の住宅はどこでも天災にそなえて、3本以上の脱出路を用意している。わが家では前庭から国道へ行く2本の通路があり、裏庭からも2本の通路で北か東へ行けば、林道や国道に抜けられるようになっている。このため里山の生活道は四通八達していて、田圃や畑に通じている。「撃たれる心配」がなければ、害獣にとってこれほど便利な通路はない。ヒノキ林のある、歩きやすいところから林道に降りて、広い道を進み、生活道に入って、芋や青菜や稲や低い果樹を漁れる。
これを個別防衛しようとして、目の前のことしか考えない農民たちが、「市から柵の無料貸し出しがある」と聞いて、田や畑を個別に柵で囲って、「檻の中の集落」が出現した。「いとあさましく、おろかというもあわれなり」。(「枕草子」)
それに醜い電柱と電線、電話線だ。都会人の目は、電柱、電線、電話線にフィルターをかけて見ているから、これに気づかない。試みにカメラで風景を撮影してみると良い。カメラはすべてを写す。
最近では林道と生活道の接点を遮断する動きも出てきた。(下図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1b/3d/b9b6d1ca785c6917d79211df00db2be4_s.jpg)
自宅裏の林道は迂回路でここにも通じるのだが、青いネットで封鎖されている。左手にはコンクリート型枠をつくる工場がある。青いネットに付いた看板に「付近の農家からの苦情により、通行止めにします」とあった。ネットの向こうは元養蜂場で、放置された巣箱に蜜を集めるミツバチを観察していたのだが…。
右手のネットはその農家のデフェンスである。だが、なに、獣は工場の西側にある別の林道を通って、夜間に国道伝いに移動するから、農家に生活道が通じているかぎり、侵入は防げない。裏の林道の西側から隣の谷に降りる道は、谷の住民が獣害防止のために塞いでしまった。この「大友林道」は西端が行き詰まりになっているから、避難路としては役に立たなくなった。こうして「里山の美観」は日々、損なわれていく。美観という「資本」を失った里山に、どんな「資本主義」が成り立つのか…。「里山資本主義」は幻想だ。
昔は野犬がいて、群をなして害獣を襲っていた。が、狂犬病などが流行る恐れがあり、保健所による「野良犬狩り」の結果、野犬はほぼいなくなった。「オオカミ導入論」も出ているが、バカもやすみやすみ言ってもらいたい。オーストラリアへのイヌの導入、沖縄へのハブの導入が何をもたらしたか。ペットでもやがて逃げ出して野生化する。付近の池にはブラックバスやミシシッピ・ミドリガメが沢山いるし、川にはヌートリアがいる。
結局のところ策は二つだろう。ひとつは里山をぐるりと柵で囲み、林道に「識別センサー」で作動する自動ゲートを設け、ヒトと車は通れるが、害獣が里地に近づけないようにすること。これをやると、彼らの生活圏が狭い範囲に限定されるから、遺伝的多様性の喪失、疫病流行による絶滅などにより、やがて柵単位で、絶滅して行くだろう。それが望ましいかどうか…。
もう一つの方法は、「積極的ハンティング」だ。スポーツハンティングを奨励し、若者に銃の扱いを教えたらよい。射撃はオリンピックの種目にあるのに、日本の選手は自衛官と警察官ばかりというのもおかしい。
普通の銃弾でなく、高性能空気銃を使って、痲酔弾を打ちこめば、生きたまま捕獲できる。1頭5~10万円で、仕留めた獲物を自治体が買い上げ、疫病検査ののち、レストランに販売したらよい。「猟友会」はどこも高齢化で、消滅寸前らしい。若者の参加を促すべきだ。
グリーン・ピースは「鯨には知性がある」という理屈により、日本の捕鯨に反対しているので、鹿やイノシシの捕獲には反対しないだろう。むしろ国内の動物愛護団体が問題だろう。
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