【近代独裁制の起源】レーニンが率いる「ボルシェビキ党」がロシア革命を起こし、レーニン死後スターリンに受けつがれ、史上まれな独裁体制をもたらしたことはよく知られている。後「共産党」と改名したこの党の組織原理は「民主主義的中央集権」制である。日本共産党は「民主集中制」と読んでいる。
ロシア革命の初期には野党が存在しえたし、国会議員選挙もあった。議席数に応じて演説時間が配分されていた。ボルシェビキ内部に反対派(フラクション)の存在も許された。これらが次々に禁止され、違反者に死刑が科されるようになると、独裁制に移行した。
国民に投票権はなくなり、国会の代わりに「共産党大会」が何年かに一度開かれるだけで、「中央委員会」という政府と委員会の書記局が内閣となり、書記長が大統領となり、独裁制が始まった。
この過程は一見、民主主義的である。党員が地区の代議員を選び、党大会が中央委員を選び、中央委員会が書記局員を選び、書記局が書記長を選ぶのだから。但し、非党員には選挙権がないし、どの過程でも秘密投票は行われない。
この「レーニン主義」が社会主義的独裁体制の根源であることは、理論的に予測がつくし、ロシアで起こったこと、いま、中国と北朝鮮で起こっていることを見れば明らかだ。
だが、レーニンがこの天才的な独裁制を発明したとはちょっと考えにくい。彼もユダヤ人だが、それほど頭がよいとは、彼の書いたものを読むかぎり、思えない。
トロツキーが「裏切られた革命」で主張するように、ロシア革命は当初意図したものから別なものへ変質したのであれば、「意図せざる独裁制」の出現はフランス革命にそのモデルを求めなければいけない。ソブール「フランス革命」(岩波新書)に始まり、ミシュレ「フランス革命史」、トクヴィル「アンシアン・レジームと大革命」などフランス人が書いた本をいろいろ読んでみたが、肝腎のことが書いてない。
英国人によるものでも、E.H.カーの本「ロシア革命」(岩波現代文庫)など、革命支持派だから平板な歴史叙述に終わっている。
ソ連崩壊後、多数の機密文書を利用できるようになって、フランスの学者も少しはましなことを書くかと思ったが、カレル=ダンコース「レーニンとは何だったか」(藤原書店)、S.クルトワ「共産主義黒書(ソ連編)」(恵雅堂出版)もこまかい事実が羅列してあるだけで、何ら本質的ことが書いてない。ただ、クルトワによると、レーニンは「プロレタリア的ジャコバン(山岳党)」という言葉をよく口にしていたそうで、フランス革命史には一応通じていたといえよう。
E.バークは英国の保守主義者で「フランス革命の省察」は1790年、まだ革命が進行中に、これを根本的に批判した書として有名だが、今日まで良い訳がなく、読む機会がなかった。佐藤健志訳(PHP研究所、2011)を読み、その訳注で意外な事実を知った。
革命により、フランス全土は正方形の83の県と1,720の郡と6,400の区に分割され、それぞれに議会が置かれた。しかし、1789年の「人権宣言」に反して、住民が直接選挙できるのは、区議会議員のみで、後は区議会議員が県議会議員を、県議会議員が国会議員を選ぶという間接選挙なのである。
また住民の投票権に関しても「一定の納税額」が条件として科されていた。つまり制限選挙である。
いずれにせよ、この間接3段選挙では、買収または生命への脅迫により、権力の座にある党派が優勢になることは避けがたい。とくに、人口密度を無視した正方形の行政区割りでは、農民の支持を集めた党派が区議会を制するのは当然である。この区割りと間接選挙制を導入したときから、フランス革命が独裁制に転化するのは予想できたといえる。しかし、当時、「平等な民主制は、結局軍人による独裁に終わるだろう」とナポレオンの登場を予告していたのは、バークだけだといわなければならない。
フランス革命はロベスピエールがブルジョアの利益を代表するジロンド党を暴力で国民議会から排除したときに、独裁制への変質を始めた。ロシア革命は1918年春の選挙で、ボルシェビキが敗れて少数派になったときに、秘密警察(チェーカ)を創設し反対派を暴力的に排除するようになって簡単に変質した。いずれもその基盤には「間接選挙」制度がある。
フランス革命に関する著書の日本語訳、日本での研究書は掃いて捨てるほどあるが、いずれも視野狭窄か問題意識が浅く、「比較革命論」的な視点がない。佐藤健志の訳注がなければ、私もロシア革命とフランス革命の根本的な同一性に気づかないところだった。
日本でも「大正デモクラシー」が関東大震災の後に急速に変貌し、昭和10年代に「軍部独裁制」に移行した例がある。これも日本の「チェーカー」に相当する憲兵制度の拡充が関与している。
アメリカ建国の父たちはフランス革命以前に国を作ったから、民主主義の(特に間接選挙の)危険性を知らなかった。だから「大統領選挙人制度」をつくり、間接選挙にしたわけだが、実際には選挙人は支持政党を表明しているから、直接選挙になっている。だからこの国にはいまだ独裁者が現れていないのだろうと考える。
ロシア革命の初期には野党が存在しえたし、国会議員選挙もあった。議席数に応じて演説時間が配分されていた。ボルシェビキ内部に反対派(フラクション)の存在も許された。これらが次々に禁止され、違反者に死刑が科されるようになると、独裁制に移行した。
国民に投票権はなくなり、国会の代わりに「共産党大会」が何年かに一度開かれるだけで、「中央委員会」という政府と委員会の書記局が内閣となり、書記長が大統領となり、独裁制が始まった。
この過程は一見、民主主義的である。党員が地区の代議員を選び、党大会が中央委員を選び、中央委員会が書記局員を選び、書記局が書記長を選ぶのだから。但し、非党員には選挙権がないし、どの過程でも秘密投票は行われない。
この「レーニン主義」が社会主義的独裁体制の根源であることは、理論的に予測がつくし、ロシアで起こったこと、いま、中国と北朝鮮で起こっていることを見れば明らかだ。
だが、レーニンがこの天才的な独裁制を発明したとはちょっと考えにくい。彼もユダヤ人だが、それほど頭がよいとは、彼の書いたものを読むかぎり、思えない。
トロツキーが「裏切られた革命」で主張するように、ロシア革命は当初意図したものから別なものへ変質したのであれば、「意図せざる独裁制」の出現はフランス革命にそのモデルを求めなければいけない。ソブール「フランス革命」(岩波新書)に始まり、ミシュレ「フランス革命史」、トクヴィル「アンシアン・レジームと大革命」などフランス人が書いた本をいろいろ読んでみたが、肝腎のことが書いてない。
英国人によるものでも、E.H.カーの本「ロシア革命」(岩波現代文庫)など、革命支持派だから平板な歴史叙述に終わっている。
ソ連崩壊後、多数の機密文書を利用できるようになって、フランスの学者も少しはましなことを書くかと思ったが、カレル=ダンコース「レーニンとは何だったか」(藤原書店)、S.クルトワ「共産主義黒書(ソ連編)」(恵雅堂出版)もこまかい事実が羅列してあるだけで、何ら本質的ことが書いてない。ただ、クルトワによると、レーニンは「プロレタリア的ジャコバン(山岳党)」という言葉をよく口にしていたそうで、フランス革命史には一応通じていたといえよう。
E.バークは英国の保守主義者で「フランス革命の省察」は1790年、まだ革命が進行中に、これを根本的に批判した書として有名だが、今日まで良い訳がなく、読む機会がなかった。佐藤健志訳(PHP研究所、2011)を読み、その訳注で意外な事実を知った。
革命により、フランス全土は正方形の83の県と1,720の郡と6,400の区に分割され、それぞれに議会が置かれた。しかし、1789年の「人権宣言」に反して、住民が直接選挙できるのは、区議会議員のみで、後は区議会議員が県議会議員を、県議会議員が国会議員を選ぶという間接選挙なのである。
また住民の投票権に関しても「一定の納税額」が条件として科されていた。つまり制限選挙である。
いずれにせよ、この間接3段選挙では、買収または生命への脅迫により、権力の座にある党派が優勢になることは避けがたい。とくに、人口密度を無視した正方形の行政区割りでは、農民の支持を集めた党派が区議会を制するのは当然である。この区割りと間接選挙制を導入したときから、フランス革命が独裁制に転化するのは予想できたといえる。しかし、当時、「平等な民主制は、結局軍人による独裁に終わるだろう」とナポレオンの登場を予告していたのは、バークだけだといわなければならない。
フランス革命はロベスピエールがブルジョアの利益を代表するジロンド党を暴力で国民議会から排除したときに、独裁制への変質を始めた。ロシア革命は1918年春の選挙で、ボルシェビキが敗れて少数派になったときに、秘密警察(チェーカ)を創設し反対派を暴力的に排除するようになって簡単に変質した。いずれもその基盤には「間接選挙」制度がある。
フランス革命に関する著書の日本語訳、日本での研究書は掃いて捨てるほどあるが、いずれも視野狭窄か問題意識が浅く、「比較革命論」的な視点がない。佐藤健志の訳注がなければ、私もロシア革命とフランス革命の根本的な同一性に気づかないところだった。
日本でも「大正デモクラシー」が関東大震災の後に急速に変貌し、昭和10年代に「軍部独裁制」に移行した例がある。これも日本の「チェーカー」に相当する憲兵制度の拡充が関与している。
アメリカ建国の父たちはフランス革命以前に国を作ったから、民主主義の(特に間接選挙の)危険性を知らなかった。だから「大統領選挙人制度」をつくり、間接選挙にしたわけだが、実際には選挙人は支持政党を表明しているから、直接選挙になっている。だからこの国にはいまだ独裁者が現れていないのだろうと考える。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます