【竹島問題】について、この間研究してきました。在日の人や韓国の翻訳書もあります。
これについては長くなりますので別の機会に書きますが、「鬱陵島」が一島で多名(朝鮮でも日本でも)だったことが、混乱の最大の要因だと思います。
19世紀以前の朝鮮、日本の地図には鬱陵島と並んで「于山島(うざんとう)」という架空の島が描いてあります。
対馬の面積が696平方キロ、鬱陵島が73平方キロ、問題の竹島が0.3平方キロですから、地図が間違っているのです。
李氏朝鮮は1403年から鬱陵島の「無人化政策」を始め、1881年になって再移住計画を始めたので、地理も何も400年以上不明だったのです。その後、1876年朝鮮と日本の通商条約「江華島条約」が締結されたあと、1877年に「竹島他一島」に関する明治政府の「太政官指令」が出ています。これが今の「竹島」を放棄したものかどうかで、日韓の解釈のちがいがあります。
ここが恐らく核心でしょう。
これについては長くなりますので別の機会に書きますが、「鬱陵島」が一島で多名(朝鮮でも日本でも)だったことが、混乱の最大の要因だと思います。
19世紀以前の朝鮮、日本の地図には鬱陵島と並んで「于山島(うざんとう)」という架空の島が描いてあります。
対馬の面積が696平方キロ、鬱陵島が73平方キロ、問題の竹島が0.3平方キロですから、地図が間違っているのです。
李氏朝鮮は1403年から鬱陵島の「無人化政策」を始め、1881年になって再移住計画を始めたので、地理も何も400年以上不明だったのです。その後、1876年朝鮮と日本の通商条約「江華島条約」が締結されたあと、1877年に「竹島他一島」に関する明治政府の「太政官指令」が出ています。これが今の「竹島」を放棄したものかどうかで、日韓の解釈のちがいがあります。
ここが恐らく核心でしょう。
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