【北里伝】「うつ」でも読書はできます。毎日1冊は読んできました。
福田眞人『北里柴三郎:熱と誠があれば』(ミネルヴァ書房, 2008)を読んでいて、日本語がでたらめだということを痛感しました。
それと、索引もでたらめ、参考文献は膨大な数があげてありますが、本当に参考にしたかどうか、本文と文献との対応も明示していない。
著者は名古屋大学大学院「国際言語文化研究科」教授です。
p.188に「中浜東一郎の息子が明治32年に結核で死んだ」という記述がある。中浜はジョン万次郎の息子で、内務省に入り、北里と一緒にドイツ留学した仲だが、当時は内務省衛生局の技官だった。著者は息子の死を、
「…中浜の長男幸の逝去である。その逝去は明治32年(1899)7月4日のことだった。」
と書いているが、「逝去」という言葉は死に対する尊敬語であるから、客観的記述語としては、この場合不適当である。
中浜東一郎の息子で、学生の幸が結核で死んだという事実を記載するのに、「逝去」という用語を使用する必要はない。
「あまつさえ」という言葉の誤用。
「…中浜(東一郎)がかように勝ち誇った電文を打つのは、青山(道胤)があまつさえペスト菌同定のために病理解剖に奔走し、挙げ句の果てにペスト菌に感染して生死の境をさまよったのに、北里が世界に先駆けてペスト菌を発見したことをあたかも独占したことが許せなかったのではないか。」(p.182)
「あまつさえ」という副詞は、2文構造の場合に、ある悪い状態を意味する前文を受けて、後文でより悪い状態を表現する場合に用いる。
「日は暮れて、あまつさえ雪まで降ってきた」(「広辞苑」)のごとくにである。
「そればかりか」、「その上に」あるいは「かてて加えて」と同義であり、英語のin addition to あるいはmoreover に相当する。語源的には「余り」に副助詞「さえ」が結合したもので、数量的にある基準を超えることを強調する言葉である。
上文の「あまつさえ」では、文法上、受けるべき前文が存在しない。著者は「病理解剖に奔走し」に掛かるものとして使用しているようだ。文意的には「挙げ句の果てに」とほぼ同義であり、不要の語である。「あまつさえ」が存在するために、全体の文意が不明瞭になっている。
どうも著者は「まつさえ」という語を「熱心なあまり」という意味に誤解しているようだ。その証拠を以下に述べる。
病理解剖に「奔走」という表現も、おかしい。実際の病理解剖を見たことのない人物の文章である。「奔走」というのは「あちこち駆け回って努力する」ことをいい、青山の香港でのペスト死体病理解剖は、一箇所で行われたのだから「奔走」とはいえない。その人物の物理的移動を伴わない努力を「奔走」と表現する文章は他に見たことがない。
講談社『類語大辞典』は「奔走」の類語に「狂奔」、「忙殺」、「東奔西走」をあげているが、いずれも上文にフィットしない。置換できないということは、ここに「奔走」という語を用いてはいけないことを意味している。同じ辞書で「熱中」を引くと、「没頭」、「没入」、「夢中」が出てくる。
東大教授青山は、香港でペスト死体の解剖に従事していて、ペストに感染したのだから、「奔走」の代わりに「熱中したあまり」と書くのが妥当だろう。
しかし著者は「あまつさえ」が「熱中のあまり」と同義と考えているから、前にそれを使用したので、もう「熱中」とか「熱心」が使えない。そこで「奔走」という言葉を使ったのだろう。
「ペスト菌を発見したことをあたかも独占した」における「あたかも」の誤用。
この「あたかも」も副詞で、類語として「さながら」、「まるで」、「ちょうど」、「いわば」があります。このうち「あたかも」は「よく似ているが同じではない」という意味あいが強い。「独占した」と言い切るのであれば「あたかも」は使えない。
「あたかも」を使うのであれば「独占したようなかたちになった」とでもするほかない。
要するに上文の言わんとしているのは、
「中浜がこのように勝ち誇ったような電文を打った理由には、青山がペスト患者の病理解剖に熱中したあまり、ついにペストに感染して死線を彷徨う結果となった。にもかかわらず北里はペスト菌発見を世界に先駆けて発表し、結果として北里一人の手柄になったことが許せなかったのではないか。」
ということで、同じ東大卒でありながら、内科の青山と民間にあった北里との長く続く対立の一端を示しています。
それにしても、「あまつさえ」とか「あたかも」とか、著者の副詞の理解と用法の未熟さで、文章が達意になっていないのは、残念です。
「さしもの」の誤用。これは中浜東一郎の息子の結核についての記述部分。
「さしもの病状は好転するどころか、悪化する一方であった。」(p.189)
「さしもの」は「あれほどの」とか「さすがの」、「それほどまで」の意味で、強調する語である。副詞「さ」(左様のさ)、に助詞「し、も」が付いたものである。
つまり「さしもの病状」と書けば、病状が重いこと、重態であることを意味する。
一般には、「さしもの病気も、特効薬◯◯のお蔭で、峠を越え日増しに快方に向かった」というように使うのが普通である。
この文の前には、息子が青山教授とベルツ教授の往診を受けたことを述べているので、病状が重いことは明らかである。当時望みうる最高の診療を受けていたわけなので、「さしもの」ではなく、「にもかかわらず」とか、「いかんせん」、「残念ながら」とか、別な語句を使えば、文意が明瞭になっただろう。
それとこの本の索引を見ると、人名と事項の項目は多いが、頁の漏れが多い。上記中浜東一郎では、151頁以下の出現が完全に落ちている。この人物は、日記に北里の出世を妬みながら、詳細に記載していて、重要な役割を果たしている。
出現頻度の多い人名は「文脈索引」にするなど、索引に漏れのないようにしてほしいと思う。
毎日出版文化賞を『結核の文化史』(名大出版会, 1995)で受賞した人なので、編集者にも遠慮があったのかしれないが、内容の良し悪しと文の良し悪しは別次元の問題なので、編集者/出版社にしっかりしてもらいたいと思う。
変な文章が出てくるが、全体としては「評伝北里柴三郎」として面白い本であった。
国書刊行会から『韓国独立運動の研究』の完全本をお送り頂いた。ありがとうございました。
欠落していた頁が朝鮮最後の皇帝の死に関する記述を含んでいたことを知った(1919年)。すでに手許の本(約850頁)にマーカーで線を引いたり書き込みしたり、付箋をつけたりしていて、ちょっと返却は無理だと思います。どうか、ご了承下さい。
この本は畢生の力作で、重要な基礎的な参考文献だが、惜しむらくは索引(人名、地名、事項)がなく、該当箇所を捜しあてるのに苦労する。索引と目次に「小見出し」を入れると非常に使いやすい本になると思う。1割くらい値段が上がっても、本当に必要とする読者はそれを買うと思うので、ぜひご検討頂きたいと思う。著者佐々木春隆氏は亡くなっているので、編集者がやることになると思うが、日本には「索引作成」業者のようなものはないのでしょうか?
この間、『東学史』、『択里誌』、『海游録』と古い朝鮮に関する東洋文庫3冊を読んだが、梶村秀樹(訳注)『東学史』と姜在彦(訳注)『海游録』には索引がなく、関連箇所を探すのに苦労する。
C.ロイド『137億年の物語』(文藝春秋, 2012/9)は絵入りで、大判500ページあるが、ペーパーバックなので2,990円。しかし索引と参考文献はばっちり付いている。(これはよく売れていて、手許の2012/10/25付け本が四刷りである。発行は9/10だ。)
本の頁に通し番号がふられて初めて目次と索引が可能になったのだが、「通し番号」の出現は英語本では1481年のカクストン本である。
この時に目次も初めて出現した。19世紀には英語本に索引をつけるのは普通になったようで、1878年にはロンドンに「索引作成業」が出現している。
が、索引は執筆者が読者に読んでもらいたい箇所の「内的関連」を支持するものなので、執筆者自身が作成するのがベストだと私は思う。
それに索引を作ってみると、記述の重複とか矛盾などを発見することができる。
紙本も電子本に対抗するには目次や索引を充実し、使いやすさ=付加価値を高める必要があると思う。そのためには縦書きから横書きに移行した方がよいと思う。新聞など1行10字というのがあるが、10字で終わる文など滅多にないから、何行も読んでやっと文が終わるので大変読みにくい。
上記のロイドの本はヨコ組で2列だが、1列が20字、38行、1頁が1,520字(400字詰め原稿用紙約4枚)となっており、大変読みやすい。
(400字詰め4枚というのは、私がWORDで原稿を書く際のA4用紙1枚の文字数である。これだけあると、本の1項目を論じることができる。)
福田眞人『北里柴三郎:熱と誠があれば』(ミネルヴァ書房, 2008)を読んでいて、日本語がでたらめだということを痛感しました。
それと、索引もでたらめ、参考文献は膨大な数があげてありますが、本当に参考にしたかどうか、本文と文献との対応も明示していない。
著者は名古屋大学大学院「国際言語文化研究科」教授です。
p.188に「中浜東一郎の息子が明治32年に結核で死んだ」という記述がある。中浜はジョン万次郎の息子で、内務省に入り、北里と一緒にドイツ留学した仲だが、当時は内務省衛生局の技官だった。著者は息子の死を、
「…中浜の長男幸の逝去である。その逝去は明治32年(1899)7月4日のことだった。」
と書いているが、「逝去」という言葉は死に対する尊敬語であるから、客観的記述語としては、この場合不適当である。
中浜東一郎の息子で、学生の幸が結核で死んだという事実を記載するのに、「逝去」という用語を使用する必要はない。
「あまつさえ」という言葉の誤用。
「…中浜(東一郎)がかように勝ち誇った電文を打つのは、青山(道胤)があまつさえペスト菌同定のために病理解剖に奔走し、挙げ句の果てにペスト菌に感染して生死の境をさまよったのに、北里が世界に先駆けてペスト菌を発見したことをあたかも独占したことが許せなかったのではないか。」(p.182)
「あまつさえ」という副詞は、2文構造の場合に、ある悪い状態を意味する前文を受けて、後文でより悪い状態を表現する場合に用いる。
「日は暮れて、あまつさえ雪まで降ってきた」(「広辞苑」)のごとくにである。
「そればかりか」、「その上に」あるいは「かてて加えて」と同義であり、英語のin addition to あるいはmoreover に相当する。語源的には「余り」に副助詞「さえ」が結合したもので、数量的にある基準を超えることを強調する言葉である。
上文の「あまつさえ」では、文法上、受けるべき前文が存在しない。著者は「病理解剖に奔走し」に掛かるものとして使用しているようだ。文意的には「挙げ句の果てに」とほぼ同義であり、不要の語である。「あまつさえ」が存在するために、全体の文意が不明瞭になっている。
どうも著者は「まつさえ」という語を「熱心なあまり」という意味に誤解しているようだ。その証拠を以下に述べる。
病理解剖に「奔走」という表現も、おかしい。実際の病理解剖を見たことのない人物の文章である。「奔走」というのは「あちこち駆け回って努力する」ことをいい、青山の香港でのペスト死体病理解剖は、一箇所で行われたのだから「奔走」とはいえない。その人物の物理的移動を伴わない努力を「奔走」と表現する文章は他に見たことがない。
講談社『類語大辞典』は「奔走」の類語に「狂奔」、「忙殺」、「東奔西走」をあげているが、いずれも上文にフィットしない。置換できないということは、ここに「奔走」という語を用いてはいけないことを意味している。同じ辞書で「熱中」を引くと、「没頭」、「没入」、「夢中」が出てくる。
東大教授青山は、香港でペスト死体の解剖に従事していて、ペストに感染したのだから、「奔走」の代わりに「熱中したあまり」と書くのが妥当だろう。
しかし著者は「あまつさえ」が「熱中のあまり」と同義と考えているから、前にそれを使用したので、もう「熱中」とか「熱心」が使えない。そこで「奔走」という言葉を使ったのだろう。
「ペスト菌を発見したことをあたかも独占した」における「あたかも」の誤用。
この「あたかも」も副詞で、類語として「さながら」、「まるで」、「ちょうど」、「いわば」があります。このうち「あたかも」は「よく似ているが同じではない」という意味あいが強い。「独占した」と言い切るのであれば「あたかも」は使えない。
「あたかも」を使うのであれば「独占したようなかたちになった」とでもするほかない。
要するに上文の言わんとしているのは、
「中浜がこのように勝ち誇ったような電文を打った理由には、青山がペスト患者の病理解剖に熱中したあまり、ついにペストに感染して死線を彷徨う結果となった。にもかかわらず北里はペスト菌発見を世界に先駆けて発表し、結果として北里一人の手柄になったことが許せなかったのではないか。」
ということで、同じ東大卒でありながら、内科の青山と民間にあった北里との長く続く対立の一端を示しています。
それにしても、「あまつさえ」とか「あたかも」とか、著者の副詞の理解と用法の未熟さで、文章が達意になっていないのは、残念です。
「さしもの」の誤用。これは中浜東一郎の息子の結核についての記述部分。
「さしもの病状は好転するどころか、悪化する一方であった。」(p.189)
「さしもの」は「あれほどの」とか「さすがの」、「それほどまで」の意味で、強調する語である。副詞「さ」(左様のさ)、に助詞「し、も」が付いたものである。
つまり「さしもの病状」と書けば、病状が重いこと、重態であることを意味する。
一般には、「さしもの病気も、特効薬◯◯のお蔭で、峠を越え日増しに快方に向かった」というように使うのが普通である。
この文の前には、息子が青山教授とベルツ教授の往診を受けたことを述べているので、病状が重いことは明らかである。当時望みうる最高の診療を受けていたわけなので、「さしもの」ではなく、「にもかかわらず」とか、「いかんせん」、「残念ながら」とか、別な語句を使えば、文意が明瞭になっただろう。
それとこの本の索引を見ると、人名と事項の項目は多いが、頁の漏れが多い。上記中浜東一郎では、151頁以下の出現が完全に落ちている。この人物は、日記に北里の出世を妬みながら、詳細に記載していて、重要な役割を果たしている。
出現頻度の多い人名は「文脈索引」にするなど、索引に漏れのないようにしてほしいと思う。
毎日出版文化賞を『結核の文化史』(名大出版会, 1995)で受賞した人なので、編集者にも遠慮があったのかしれないが、内容の良し悪しと文の良し悪しは別次元の問題なので、編集者/出版社にしっかりしてもらいたいと思う。
変な文章が出てくるが、全体としては「評伝北里柴三郎」として面白い本であった。
国書刊行会から『韓国独立運動の研究』の完全本をお送り頂いた。ありがとうございました。
欠落していた頁が朝鮮最後の皇帝の死に関する記述を含んでいたことを知った(1919年)。すでに手許の本(約850頁)にマーカーで線を引いたり書き込みしたり、付箋をつけたりしていて、ちょっと返却は無理だと思います。どうか、ご了承下さい。
この本は畢生の力作で、重要な基礎的な参考文献だが、惜しむらくは索引(人名、地名、事項)がなく、該当箇所を捜しあてるのに苦労する。索引と目次に「小見出し」を入れると非常に使いやすい本になると思う。1割くらい値段が上がっても、本当に必要とする読者はそれを買うと思うので、ぜひご検討頂きたいと思う。著者佐々木春隆氏は亡くなっているので、編集者がやることになると思うが、日本には「索引作成」業者のようなものはないのでしょうか?
この間、『東学史』、『択里誌』、『海游録』と古い朝鮮に関する東洋文庫3冊を読んだが、梶村秀樹(訳注)『東学史』と姜在彦(訳注)『海游録』には索引がなく、関連箇所を探すのに苦労する。
C.ロイド『137億年の物語』(文藝春秋, 2012/9)は絵入りで、大判500ページあるが、ペーパーバックなので2,990円。しかし索引と参考文献はばっちり付いている。(これはよく売れていて、手許の2012/10/25付け本が四刷りである。発行は9/10だ。)
本の頁に通し番号がふられて初めて目次と索引が可能になったのだが、「通し番号」の出現は英語本では1481年のカクストン本である。
この時に目次も初めて出現した。19世紀には英語本に索引をつけるのは普通になったようで、1878年にはロンドンに「索引作成業」が出現している。
が、索引は執筆者が読者に読んでもらいたい箇所の「内的関連」を支持するものなので、執筆者自身が作成するのがベストだと私は思う。
それに索引を作ってみると、記述の重複とか矛盾などを発見することができる。
紙本も電子本に対抗するには目次や索引を充実し、使いやすさ=付加価値を高める必要があると思う。そのためには縦書きから横書きに移行した方がよいと思う。新聞など1行10字というのがあるが、10字で終わる文など滅多にないから、何行も読んでやっと文が終わるので大変読みにくい。
上記のロイドの本はヨコ組で2列だが、1列が20字、38行、1頁が1,520字(400字詰め原稿用紙約4枚)となっており、大変読みやすい。
(400字詰め4枚というのは、私がWORDで原稿を書く際のA4用紙1枚の文字数である。これだけあると、本の1項目を論じることができる。)
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