【脳死と人の死】
1/16梅原猛(93)が亡くなった。各紙一面で取り上げているが、著書と略歴を二つの表で紹介した産経の記事がいちばん簡にして要を得ている。
彼の著作「隠された十字架:法隆寺論」(1972)、「水底の歌:柿本人麿論」(1973)、「神々の流竄(るざん)」(1986)などの仮説的著書は日本史研究を刺激したと思う。しかし、「脳死=人の死」説に反対し、立花隆「 脳死臨調批判」(1992)と並んで当時の「脳死臨調」で米本昌平らと共に「脳死は、死でない」(思文閣,1992)を出版し、脳死臨調委員会で少数反対派に廻ったことは大きな誤りだったと思う。
「臓器移植法」(1997年施行)後も脳死体をドナーとする移植が増えず、2009年の「改正臓器移植法」施行後もドナー数が著増しないのは、1960年代の「和田心臓移植」への日本移植学会のアカウンタビリティの不足と90年代における一部知識人の無責任な言動が大きく影響していると思う。
今日の新聞は「訃報」だから、梅原と「脳死は人の死でない」という説の与えた影響についてはどこも触れていなかった。
1/16梅原猛(93)が亡くなった。各紙一面で取り上げているが、著書と略歴を二つの表で紹介した産経の記事がいちばん簡にして要を得ている。
彼の著作「隠された十字架:法隆寺論」(1972)、「水底の歌:柿本人麿論」(1973)、「神々の流竄(るざん)」(1986)などの仮説的著書は日本史研究を刺激したと思う。しかし、「脳死=人の死」説に反対し、立花隆「 脳死臨調批判」(1992)と並んで当時の「脳死臨調」で米本昌平らと共に「脳死は、死でない」(思文閣,1992)を出版し、脳死臨調委員会で少数反対派に廻ったことは大きな誤りだったと思う。
「臓器移植法」(1997年施行)後も脳死体をドナーとする移植が増えず、2009年の「改正臓器移植法」施行後もドナー数が著増しないのは、1960年代の「和田心臓移植」への日本移植学会のアカウンタビリティの不足と90年代における一部知識人の無責任な言動が大きく影響していると思う。
今日の新聞は「訃報」だから、梅原と「脳死は人の死でない」という説の与えた影響についてはどこも触れていなかった。
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