【創造的進化】「産経」関厚夫の「次世代への名言」というつまらぬコラムが終わったと思ったら、桑原聡「鈍機翁のため息」と題するドンキホーテをめぐる随筆が始まった。
12/23は第12回で、読者から寄せられた質問・意見に立ち往生している。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131223/art13122309350000-n1.html
そもそもフランスの哲学者アンリ・ベルグソンが、この「創造的進化(L'Evolution creatice)」を書いたのは1907年のことで、河野与一の推薦により、真方敬道がはじめて邦訳して岩波文庫から出たのが、1954年である。40年以上遅れている。そのくせ訳文は旧仮名遣いである。
進化の哲学的解釈を行ったのがこの本だが、いかんせん彼が依拠した生物学は19世紀のそれで、しかも「獲得形質の遺伝」と目的論を認める(ということはダーウィン進化論を否定する)「新ラマルク派」のそれだった。
すでにメンデルの法則が再発見され、遺伝子の存在が明らかになっていたし、アインシュタインの1905年の「奇蹟の年」の3論文も発表されていたが、ベルグソンがそれらが何を意味するかさえ理解できていない。
時間や生命を論じるのに欠かせない「熱力学第二法則」(時間の数学的表現とされる)も理解していない。19世紀にクラウジウスにより発見されていたのに。
彼の著書「創造的進化」の中核をなす概念が「Elan vital(生命の跳躍)」で、これが進化の原動力であるとして、19世紀にフランスのクロード・ベルナールが提唱した「デテルミニスム(生理学的決定論)」に反対した。
「エラン・ヴィタール」は一種の神秘主義、生命不可知論であり、ベルグソン自身はユダヤ人であったが、彼の理論はファシズムのアーリア人優越論の根拠ともなっている。
もし、サルトルに影響を与えなかったとしたら、今日ではとっくに忘れられたマイナーな人物である。
「鈍機」氏は「エラン・ヴィタール」などという自分でもよくわからない言葉を持ち出すから、読者にとっちめられるのである。初っぱなからこれでは、先が思いやられる。
12/23は第12回で、読者から寄せられた質問・意見に立ち往生している。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131223/art13122309350000-n1.html
そもそもフランスの哲学者アンリ・ベルグソンが、この「創造的進化(L'Evolution creatice)」を書いたのは1907年のことで、河野与一の推薦により、真方敬道がはじめて邦訳して岩波文庫から出たのが、1954年である。40年以上遅れている。そのくせ訳文は旧仮名遣いである。
進化の哲学的解釈を行ったのがこの本だが、いかんせん彼が依拠した生物学は19世紀のそれで、しかも「獲得形質の遺伝」と目的論を認める(ということはダーウィン進化論を否定する)「新ラマルク派」のそれだった。
すでにメンデルの法則が再発見され、遺伝子の存在が明らかになっていたし、アインシュタインの1905年の「奇蹟の年」の3論文も発表されていたが、ベルグソンがそれらが何を意味するかさえ理解できていない。
時間や生命を論じるのに欠かせない「熱力学第二法則」(時間の数学的表現とされる)も理解していない。19世紀にクラウジウスにより発見されていたのに。
彼の著書「創造的進化」の中核をなす概念が「Elan vital(生命の跳躍)」で、これが進化の原動力であるとして、19世紀にフランスのクロード・ベルナールが提唱した「デテルミニスム(生理学的決定論)」に反対した。
「エラン・ヴィタール」は一種の神秘主義、生命不可知論であり、ベルグソン自身はユダヤ人であったが、彼の理論はファシズムのアーリア人優越論の根拠ともなっている。
もし、サルトルに影響を与えなかったとしたら、今日ではとっくに忘れられたマイナーな人物である。
「鈍機」氏は「エラン・ヴィタール」などという自分でもよくわからない言葉を持ち出すから、読者にとっちめられるのである。初っぱなからこれでは、先が思いやられる。
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