【再論・糖質制限食】「Medical Tribune」の12/19号記事によると、2013/10「糖尿病学会」(American Diabetes Association: ADA) は2008年の「食事療法基準」を改訂し、以下を今回の声明中に盛り込んだそうだ。
1)「糖質/ タンパク質/脂質という三大栄養素の必要な比率は確立されていない。」
2)「1日に糖質130グラムが平均的な最小必要量」とする文言を削除する。
この記事は「ADA2013声明」の起草委員、米ノースカロライナ州デューク大学のヤンシィ Jr.博士とE.C.ウェストマン博士に北里研究所糖尿病センター山田悟博士がインタビューしたものだ。
この記事は2週連載予定だが、「従来の糖尿病食事療法」の基本的考え方が音を立てて崩壊する始まりだと思うので、前編を読んだところで書くことにしたい。
糖尿病という病気はすでに紀元前1500年、古代エジプトの医書「エーベルス・パピルス」に多尿を伴う症状の記載があり、2世紀のカッパドキアのアレタエウスも糖尿病の症状を正確に記載している。糖尿病を指す「diabetes」という用語を最初に使った医師である。
これはギリシア語で「サイホン」という意味で、腎臓から尿が吸い出されることを意味している。
日本でも平安時代に「尿にアリがたかる病気」として知られており、関白藤原道長の病気は「糖尿病」とその合併症であったことは医学史家の意見が一致している。
患者の尿が「蜜のように甘い」ことを発見したのは脳の「ウィリス動脈輪」を記載した英国のトマス・ウィリスで、17世紀末のことである。この甘さが糖分に由来すること、患者血糖値が高いことを証明したのは英国リヴァプールの医師M.ドブソン(1776)である。彼は患者尿を蒸発させ白色粉末を得て、その色、形、味が砂糖と変わらないことを見つけた。
膵臓に外分泌部と異なる細胞集団があることは、ベルリン大学のパウル・ランゲルハンスが学生時代に見つけた。指導教官は病理学のウィルヒョウ教授だった。論文は1869年に発表され、彼の学位論文になっている。後に「ランゲルハンス島」と名づけられたが、その機能は不明であった。
「糖尿病」を意味するラテン語名称「Diabetes mellitus(DM)」を最初に使用したのは誰かわからないが、1889年のドイツ、J.V.メーリングとO.ミンコフスキーの論文にはこの用語が用いられている。こうして多尿を特徴とする疾患が糖尿病(Diabetes mellitus)と尿崩症(Diabetes inspidus)とに区別されるようになった。彼らはイヌの膵臓を摘出すると、糖尿病が起こることを実験的に示した。
糖尿病で死亡した患者の膵臓に、ランゲルハンス島の「硝子様変性」が生じていることを見つけたのは、米ジョンズ・ホプキンス大学病理学助手のE.U.オピーで、1900年、ちょうどウィーンのランドスタイナーが血液型を見つけた年である。オピーが主に解剖したのは今日のⅠ型糖尿病患者である。
同大学は成功した商人ジョンズ・ホプキンスの遺贈700万ドルに基づいて創設されたもので、病院は1889年にペンシルバニア大医学部にいたカナダ出身のウィリアム・オスラーが病理学者ウィリアム・ウェルチに招かれて創設した。野口英世が留学したのはウェルチの研究室である。
20世紀の初め、内科医たちは糖尿病患者の飲食習慣を調べると、ビール、ワインの多飲があり、食事量も多いことに気づいていた。そこでジョンズ・ホプキンス大学の内科教授オスラーは「糖質の過剰摂取が血糖値を上げ、これが腎障害の原因となる」と考え、「オスラーの内科書」で「糖質制限食」を薦めた。そのレシピは以下のとおりである。
<体重60キログラムの重症糖尿病患者の1日食事量>
食物 量(Gm) カロリー/Gm 合計カロリー
炭水化物 10 4 40
タンパク質 75 4 300
脂肪 150 9 1350
アルコール 15 7 105
1795
つまりインシュリン注射なし、経口糖尿病薬なし(当時はまだどちらもなかった)で、Ⅱ型糖尿病をコントロールするには、「10グラム糖質食」がもっとも適切だ、とオスラーは考えたわけである。
オスラーの処方で注目され点は、総カロリーの半分を脂肪に依存し、さらに残り約10%はアルコールによっていることである。アルコールは血糖値を上昇させないし、少量のアルコール(赤ワインは20世紀初めには薬として利用されていた)が患者に慰安をもたらし、病気の改善に役立つことを彼は認識していた。
1892年に彼が刊行した「オスラー内科書」は、病理学者時代の彼の病理解剖による病態所見と各疾患の臨床像を統合した名著とされ、1919年の彼の死後も改版が続けられ、1949年に「第16版」が出ている。病因論、病理発生、病理所見、臨床症状、鑑別診断まで述べた、現代的内科書の嚆矢である。
以後は「セシル=レーブ内科書」、「ハリソン内科書」が続いた。
百歳を超えた聖路加病院の日野原重明先生が、もっとも尊敬する医師がオスラーである。そのオスラーがすでに「糖質制限食こそ、糖尿病のベストな治療法だ」と薦めていたわけである。
これが崩れたのは、1921年、カナダ・モントリオールで1921年、F.G.バンティングとC.H.ベストによりインスリンが発見されたからである。これは当時としては異例の速さで1923年にノーベル医学賞を受賞している。
1926年、バルティモア大学の薬理学者J.J.エイブルは、動物の膵臓からインシュリンを抽出し、これを結晶化することに成功した。
しかしインスリン製剤それ自体はすでに1922年から市販されるようになった。
以後、各種インスリンの開発が急速に進み、1958年にはF.サンガーがインスリンのアミノ酸配列と立体構造を解明し、のちのこれでノーベル賞をもらった。70年代に分子生物学の時代に入ると、インスリン遺伝子を細菌に遺伝子導入してヒト型インスリンを作成することが可能となった。初期にあったアレルギー反応や抗インスリン抗体の問題も解決したわけである。
1950年代に入りニトロソ尿素化合物に血糖降下作用があることが発見され、1)インスリン分泌を促す薬剤、2)ブドウ糖吸収を抑える薬剤、3)インスリン感受性を高める薬剤などが開発され、糖尿病(ことにⅡ型)の治療においては、インスリンの皮下注射と薬物療法がその主流になるに至った。
日本の医師の栄養学的知識の乏しさなどがあって、投薬、注射以外には「カロリー制限、禁酒、運動療法」が唱えられている。しかし、これらが効果を発揮していないことは日本おける糖尿病患者およびその予備軍の増加、人工透析に入る糖尿病患者の急造をみれば、明らかである。
今年は一般人の「糖質制限食」への関心はさらに高まり、鏑木蓮「小説糖質制限食:甘い罠」(東洋経済新報社)というような本まで出た。
「糖質フリー」はビール、缶コーヒーその他のソフトドリンクのキャッチフレーズになっており、放置していても「糖質制限食」が普及するのは間違いないであろうが、専門家集団としての「日本糖尿病学会」は、もう一度オスラーの「糖質制限食」を見なおし、薬物療法主体の現在の糖尿病治療を再吟味すべきであろう。
私がこの2年間、自ら実験してきた治療法は驚くほど「オスラーの処方」に似ている。そして確実に効果があった。
後、「ケトン体」の問題があるが、腎機能が正常であるかぎり、これはまったく問題ない。それどころか、頭が冴えるというメリットがある。グルコースをエネルギー源とする場合と、ケトン体をエネルギー源にする場合では、ニューロンの働きが違うと思う。
が、ケトン体については別の機会に論じたい。
いま、日本ではまったく作用機序の異なる5種類の「経口糖尿病薬」が出回っているが、物理学でさえも「3点問題」といって、3種の天体が独自の運動をする場合に、ある物体がどう動くかを正確に予測することができない。まして人体内での3種以上の薬物の複合作用は予測できない。特にその「長期毒性」は未知というべきであろう。
危険な薬物治療をやめ、多くの患者が「「オスラー処方」に戻ることを薦めたい。
S.M.Rothの「病態生理学」を読んでいて、面白いことがわかった。インスリンはβ細胞でプロインシュリンとして合成される。
その構造はNh2ー末端からアミノ酸がならび、-COOH末端に終わるが、「の」の字形に丸まり、重なった部分に-S-S-結合が2個形成され分子内結合が生じる。この二重になった部分の-C末端側が「アルファ鎖」、N-末端側が「ベータ鎖」である。アルファとベータの間に介在する部分が結合(Connecting)を略して「Cペプチド」と呼ばれる。ラ氏島のβ細胞でプロインスリンが生産され、分泌顆粒に詰めこまれる際に酵素の働きでCペプチドと活性のあるインスリンとが切り離される。
インスリンの方は血中に入ると、すぐに消費される(血中濃度の半減期はたった15分)。ところがCペプチドは廃物だからすぐには減少しない。よってインスリン分泌能をみるには、インスリンそのものを測定するよりも、Cペプチドの濃度を測る方が賢明なわけだ。
血中のグルコースは細胞膜表面から細胞内へこれを取り込む「グルコース輸送体」がなければ、取り込まれない。
このグルコース輸送体にはインスリンを必要とするもの(インスリン依存性)と必要としないもの(非依存性)とがあり、亜種をふくめ4種以上が知られている。
筋肉と脂肪細胞にあるのが、インシュリン依存性のGLUT-4。ここでは細胞膜表面に「インスリン受容体」があり、インスリンがここに結合することにより、「グルコース輸送体」の活動がつよくなる。
肝臓とラ氏島β細胞にある「グルコース輸送体」はグルコースへの親和性が低く、食後の高血糖が続いている間だけ、グルコースを取り込む。
GLUT-1は脳細胞を含め身体のあらゆる細胞にあり、インスリン非依存性にグルコース輸送体が働く。
筋肉細胞に取り込まれたグルコースは主にグリコーゲンとして、グルコース貯蔵体にあるいは一部はアミノ酸合成回路に入り、筋肉をつくる素材として利用される。脂肪細胞に取り込まれたグルコースは、脂肪合成回路にはいり貯蔵脂肪に変えられる。
グリコーゲンも脂肪も、動物の「予備能、飢餓耐性能」を向上させるから、インスリンとインシュリン受容体を発現している個体は、そうでない個体よりもプラスの淘汰圧がかかったはずで、これが第4氷河期において、ネオモンゴロイドの生存に有利に働いた可能性はあると思われる。
糖質がたっぷり取れる現代では、これがマイナスに働いて、糖尿病が多発している。
ただ、太陽熱を食物に変換する方法としては、「穀類の生産」つまり農業がもっとも効率が高いことはいうまでもない。これが発明されたから、人口増が可能となったのである。
インスリンとその受容体、さらにこれらの結合によって活性化される酵素「タンパク質キナーゼ」が同時に出現するわけがないから、これらは別々に出現し他の機能を果たしていたものが、あるひ突然に結びついたものだろう。ブタや鯨からインスリンを抽出していた時代があるから、哺乳類にはインスリン系があると思われるが、もっと遡ってインスリンの比較生化学・内分泌学を調べてみる必要がありそうだ。
余談:12/23「毎日」健康欄に「健康本ランキング」というのが載っている。売れ行き順で2位が、夏井睦「炭水化物が人類を滅ぼす」(光文社新書)、3位が近藤誠「<がんもどき>で早死にする人、<本物のがん>で長生きする人」(幻冬社)。10位が近藤誠「医者に殺されない47の心得」(アスコム)、これは今年100万部売れた大ベストセラーだが、まだ売れているようだ。あとは「疲れと肩凝りをとる方法」に関する本が2点。
IT社会化して、仕事は液晶画面を見ながら、キーボードを叩くことが主になったから、「肩凝り」と「眼精疲労」は職業病だ。
肩凝りには私はお昼に薄い焼酎を1杯飲んでリラックスすることにしている。フランスでは大学病院の医者はランチに赤ワインの小瓶を一本開ける。イタリアのミラノ国立がんセンター病院でも、患者の食事にはワインが出る。
「眼精疲労」対策には、画面の文字を大きくする手もあるが、仕事がしにくくなる。もう一つの対策は「オーバー眼鏡」の使用だ。1.8~2倍の眼鏡を今の眼鏡の上に掛けると、格段に作業が楽になる。これで画面と眼の距離を80cmから100cm離すと、目を内側に寄せるために眼球の外側筋(外直筋)にかかっている張力が減少するため、眼球外側の圧痛がよほど軽くなる。(眼球には外側に6種の筋肉が付着していて、上下左右と回転運動ができるようになっている。)
12/24に行った家電店でやはり「オーバー眼鏡」を売っていた。値段は今掛けているものと同じなのに、1万1000円もした。石坂浩二がコマーシャルに起用されていた。「眼鏡の21」で半年前に8,500円で買って「高い」と思ったが、ここの方がもっと高かった。(添付1)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/c9/8c9eaed38c2160bf49fd8c3348c43c92_s.jpg)
この鼻当ての部分は取り外しができ、鼻当てなしにすると、私の眼鏡の場合常用のものの上にカチリとはまり込む。紛失してもすぐに探せるように、フレームを赤色にしてある。
夏井は東北大卒の医師で「傷はぜったい消毒するな:生態系としての皮膚の科学」(光文社新書, 2009/6)を書いた人だ。「創傷治癒」は病理学総論の重要な主題のひとつだが、彼は「進化論」の視点を入れて、創傷治癒の系統発生を述べ、消毒剤のほとんどが細胞毒であり、治癒の回復を遅らせると論じていた。
AMAZONをのぞくと、この「糖質制限食」を薦めた本にも、40近いレビューが載っていて、確かに好評のようだ。
近藤誠といい、夏井睦といい、既存の学会からは拒絶されているが、広い市民の支持を集めるところは、かつての「丸山ワクチン」に似ている。あの時、対抗馬だった「クレスチン」とか「ピシバニール」は免疫増強作用を否定されて、もう退場したように思う。丸山ワクチンは今でも信者がいる。
1)「糖質/ タンパク質/脂質という三大栄養素の必要な比率は確立されていない。」
2)「1日に糖質130グラムが平均的な最小必要量」とする文言を削除する。
この記事は「ADA2013声明」の起草委員、米ノースカロライナ州デューク大学のヤンシィ Jr.博士とE.C.ウェストマン博士に北里研究所糖尿病センター山田悟博士がインタビューしたものだ。
この記事は2週連載予定だが、「従来の糖尿病食事療法」の基本的考え方が音を立てて崩壊する始まりだと思うので、前編を読んだところで書くことにしたい。
糖尿病という病気はすでに紀元前1500年、古代エジプトの医書「エーベルス・パピルス」に多尿を伴う症状の記載があり、2世紀のカッパドキアのアレタエウスも糖尿病の症状を正確に記載している。糖尿病を指す「diabetes」という用語を最初に使った医師である。
これはギリシア語で「サイホン」という意味で、腎臓から尿が吸い出されることを意味している。
日本でも平安時代に「尿にアリがたかる病気」として知られており、関白藤原道長の病気は「糖尿病」とその合併症であったことは医学史家の意見が一致している。
患者の尿が「蜜のように甘い」ことを発見したのは脳の「ウィリス動脈輪」を記載した英国のトマス・ウィリスで、17世紀末のことである。この甘さが糖分に由来すること、患者血糖値が高いことを証明したのは英国リヴァプールの医師M.ドブソン(1776)である。彼は患者尿を蒸発させ白色粉末を得て、その色、形、味が砂糖と変わらないことを見つけた。
膵臓に外分泌部と異なる細胞集団があることは、ベルリン大学のパウル・ランゲルハンスが学生時代に見つけた。指導教官は病理学のウィルヒョウ教授だった。論文は1869年に発表され、彼の学位論文になっている。後に「ランゲルハンス島」と名づけられたが、その機能は不明であった。
「糖尿病」を意味するラテン語名称「Diabetes mellitus(DM)」を最初に使用したのは誰かわからないが、1889年のドイツ、J.V.メーリングとO.ミンコフスキーの論文にはこの用語が用いられている。こうして多尿を特徴とする疾患が糖尿病(Diabetes mellitus)と尿崩症(Diabetes inspidus)とに区別されるようになった。彼らはイヌの膵臓を摘出すると、糖尿病が起こることを実験的に示した。
糖尿病で死亡した患者の膵臓に、ランゲルハンス島の「硝子様変性」が生じていることを見つけたのは、米ジョンズ・ホプキンス大学病理学助手のE.U.オピーで、1900年、ちょうどウィーンのランドスタイナーが血液型を見つけた年である。オピーが主に解剖したのは今日のⅠ型糖尿病患者である。
同大学は成功した商人ジョンズ・ホプキンスの遺贈700万ドルに基づいて創設されたもので、病院は1889年にペンシルバニア大医学部にいたカナダ出身のウィリアム・オスラーが病理学者ウィリアム・ウェルチに招かれて創設した。野口英世が留学したのはウェルチの研究室である。
20世紀の初め、内科医たちは糖尿病患者の飲食習慣を調べると、ビール、ワインの多飲があり、食事量も多いことに気づいていた。そこでジョンズ・ホプキンス大学の内科教授オスラーは「糖質の過剰摂取が血糖値を上げ、これが腎障害の原因となる」と考え、「オスラーの内科書」で「糖質制限食」を薦めた。そのレシピは以下のとおりである。
<体重60キログラムの重症糖尿病患者の1日食事量>
食物 量(Gm) カロリー/Gm 合計カロリー
炭水化物 10 4 40
タンパク質 75 4 300
脂肪 150 9 1350
アルコール 15 7 105
1795
つまりインシュリン注射なし、経口糖尿病薬なし(当時はまだどちらもなかった)で、Ⅱ型糖尿病をコントロールするには、「10グラム糖質食」がもっとも適切だ、とオスラーは考えたわけである。
オスラーの処方で注目され点は、総カロリーの半分を脂肪に依存し、さらに残り約10%はアルコールによっていることである。アルコールは血糖値を上昇させないし、少量のアルコール(赤ワインは20世紀初めには薬として利用されていた)が患者に慰安をもたらし、病気の改善に役立つことを彼は認識していた。
1892年に彼が刊行した「オスラー内科書」は、病理学者時代の彼の病理解剖による病態所見と各疾患の臨床像を統合した名著とされ、1919年の彼の死後も改版が続けられ、1949年に「第16版」が出ている。病因論、病理発生、病理所見、臨床症状、鑑別診断まで述べた、現代的内科書の嚆矢である。
以後は「セシル=レーブ内科書」、「ハリソン内科書」が続いた。
百歳を超えた聖路加病院の日野原重明先生が、もっとも尊敬する医師がオスラーである。そのオスラーがすでに「糖質制限食こそ、糖尿病のベストな治療法だ」と薦めていたわけである。
これが崩れたのは、1921年、カナダ・モントリオールで1921年、F.G.バンティングとC.H.ベストによりインスリンが発見されたからである。これは当時としては異例の速さで1923年にノーベル医学賞を受賞している。
1926年、バルティモア大学の薬理学者J.J.エイブルは、動物の膵臓からインシュリンを抽出し、これを結晶化することに成功した。
しかしインスリン製剤それ自体はすでに1922年から市販されるようになった。
以後、各種インスリンの開発が急速に進み、1958年にはF.サンガーがインスリンのアミノ酸配列と立体構造を解明し、のちのこれでノーベル賞をもらった。70年代に分子生物学の時代に入ると、インスリン遺伝子を細菌に遺伝子導入してヒト型インスリンを作成することが可能となった。初期にあったアレルギー反応や抗インスリン抗体の問題も解決したわけである。
1950年代に入りニトロソ尿素化合物に血糖降下作用があることが発見され、1)インスリン分泌を促す薬剤、2)ブドウ糖吸収を抑える薬剤、3)インスリン感受性を高める薬剤などが開発され、糖尿病(ことにⅡ型)の治療においては、インスリンの皮下注射と薬物療法がその主流になるに至った。
日本の医師の栄養学的知識の乏しさなどがあって、投薬、注射以外には「カロリー制限、禁酒、運動療法」が唱えられている。しかし、これらが効果を発揮していないことは日本おける糖尿病患者およびその予備軍の増加、人工透析に入る糖尿病患者の急造をみれば、明らかである。
今年は一般人の「糖質制限食」への関心はさらに高まり、鏑木蓮「小説糖質制限食:甘い罠」(東洋経済新報社)というような本まで出た。
「糖質フリー」はビール、缶コーヒーその他のソフトドリンクのキャッチフレーズになっており、放置していても「糖質制限食」が普及するのは間違いないであろうが、専門家集団としての「日本糖尿病学会」は、もう一度オスラーの「糖質制限食」を見なおし、薬物療法主体の現在の糖尿病治療を再吟味すべきであろう。
私がこの2年間、自ら実験してきた治療法は驚くほど「オスラーの処方」に似ている。そして確実に効果があった。
後、「ケトン体」の問題があるが、腎機能が正常であるかぎり、これはまったく問題ない。それどころか、頭が冴えるというメリットがある。グルコースをエネルギー源とする場合と、ケトン体をエネルギー源にする場合では、ニューロンの働きが違うと思う。
が、ケトン体については別の機会に論じたい。
いま、日本ではまったく作用機序の異なる5種類の「経口糖尿病薬」が出回っているが、物理学でさえも「3点問題」といって、3種の天体が独自の運動をする場合に、ある物体がどう動くかを正確に予測することができない。まして人体内での3種以上の薬物の複合作用は予測できない。特にその「長期毒性」は未知というべきであろう。
危険な薬物治療をやめ、多くの患者が「「オスラー処方」に戻ることを薦めたい。
S.M.Rothの「病態生理学」を読んでいて、面白いことがわかった。インスリンはβ細胞でプロインシュリンとして合成される。
その構造はNh2ー末端からアミノ酸がならび、-COOH末端に終わるが、「の」の字形に丸まり、重なった部分に-S-S-結合が2個形成され分子内結合が生じる。この二重になった部分の-C末端側が「アルファ鎖」、N-末端側が「ベータ鎖」である。アルファとベータの間に介在する部分が結合(Connecting)を略して「Cペプチド」と呼ばれる。ラ氏島のβ細胞でプロインスリンが生産され、分泌顆粒に詰めこまれる際に酵素の働きでCペプチドと活性のあるインスリンとが切り離される。
インスリンの方は血中に入ると、すぐに消費される(血中濃度の半減期はたった15分)。ところがCペプチドは廃物だからすぐには減少しない。よってインスリン分泌能をみるには、インスリンそのものを測定するよりも、Cペプチドの濃度を測る方が賢明なわけだ。
血中のグルコースは細胞膜表面から細胞内へこれを取り込む「グルコース輸送体」がなければ、取り込まれない。
このグルコース輸送体にはインスリンを必要とするもの(インスリン依存性)と必要としないもの(非依存性)とがあり、亜種をふくめ4種以上が知られている。
筋肉と脂肪細胞にあるのが、インシュリン依存性のGLUT-4。ここでは細胞膜表面に「インスリン受容体」があり、インスリンがここに結合することにより、「グルコース輸送体」の活動がつよくなる。
肝臓とラ氏島β細胞にある「グルコース輸送体」はグルコースへの親和性が低く、食後の高血糖が続いている間だけ、グルコースを取り込む。
GLUT-1は脳細胞を含め身体のあらゆる細胞にあり、インスリン非依存性にグルコース輸送体が働く。
筋肉細胞に取り込まれたグルコースは主にグリコーゲンとして、グルコース貯蔵体にあるいは一部はアミノ酸合成回路に入り、筋肉をつくる素材として利用される。脂肪細胞に取り込まれたグルコースは、脂肪合成回路にはいり貯蔵脂肪に変えられる。
グリコーゲンも脂肪も、動物の「予備能、飢餓耐性能」を向上させるから、インスリンとインシュリン受容体を発現している個体は、そうでない個体よりもプラスの淘汰圧がかかったはずで、これが第4氷河期において、ネオモンゴロイドの生存に有利に働いた可能性はあると思われる。
糖質がたっぷり取れる現代では、これがマイナスに働いて、糖尿病が多発している。
ただ、太陽熱を食物に変換する方法としては、「穀類の生産」つまり農業がもっとも効率が高いことはいうまでもない。これが発明されたから、人口増が可能となったのである。
インスリンとその受容体、さらにこれらの結合によって活性化される酵素「タンパク質キナーゼ」が同時に出現するわけがないから、これらは別々に出現し他の機能を果たしていたものが、あるひ突然に結びついたものだろう。ブタや鯨からインスリンを抽出していた時代があるから、哺乳類にはインスリン系があると思われるが、もっと遡ってインスリンの比較生化学・内分泌学を調べてみる必要がありそうだ。
余談:12/23「毎日」健康欄に「健康本ランキング」というのが載っている。売れ行き順で2位が、夏井睦「炭水化物が人類を滅ぼす」(光文社新書)、3位が近藤誠「<がんもどき>で早死にする人、<本物のがん>で長生きする人」(幻冬社)。10位が近藤誠「医者に殺されない47の心得」(アスコム)、これは今年100万部売れた大ベストセラーだが、まだ売れているようだ。あとは「疲れと肩凝りをとる方法」に関する本が2点。
IT社会化して、仕事は液晶画面を見ながら、キーボードを叩くことが主になったから、「肩凝り」と「眼精疲労」は職業病だ。
肩凝りには私はお昼に薄い焼酎を1杯飲んでリラックスすることにしている。フランスでは大学病院の医者はランチに赤ワインの小瓶を一本開ける。イタリアのミラノ国立がんセンター病院でも、患者の食事にはワインが出る。
「眼精疲労」対策には、画面の文字を大きくする手もあるが、仕事がしにくくなる。もう一つの対策は「オーバー眼鏡」の使用だ。1.8~2倍の眼鏡を今の眼鏡の上に掛けると、格段に作業が楽になる。これで画面と眼の距離を80cmから100cm離すと、目を内側に寄せるために眼球の外側筋(外直筋)にかかっている張力が減少するため、眼球外側の圧痛がよほど軽くなる。(眼球には外側に6種の筋肉が付着していて、上下左右と回転運動ができるようになっている。)
12/24に行った家電店でやはり「オーバー眼鏡」を売っていた。値段は今掛けているものと同じなのに、1万1000円もした。石坂浩二がコマーシャルに起用されていた。「眼鏡の21」で半年前に8,500円で買って「高い」と思ったが、ここの方がもっと高かった。(添付1)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/c9/8c9eaed38c2160bf49fd8c3348c43c92_s.jpg)
この鼻当ての部分は取り外しができ、鼻当てなしにすると、私の眼鏡の場合常用のものの上にカチリとはまり込む。紛失してもすぐに探せるように、フレームを赤色にしてある。
夏井は東北大卒の医師で「傷はぜったい消毒するな:生態系としての皮膚の科学」(光文社新書, 2009/6)を書いた人だ。「創傷治癒」は病理学総論の重要な主題のひとつだが、彼は「進化論」の視点を入れて、創傷治癒の系統発生を述べ、消毒剤のほとんどが細胞毒であり、治癒の回復を遅らせると論じていた。
AMAZONをのぞくと、この「糖質制限食」を薦めた本にも、40近いレビューが載っていて、確かに好評のようだ。
近藤誠といい、夏井睦といい、既存の学会からは拒絶されているが、広い市民の支持を集めるところは、かつての「丸山ワクチン」に似ている。あの時、対抗馬だった「クレスチン」とか「ピシバニール」は免疫増強作用を否定されて、もう退場したように思う。丸山ワクチンは今でも信者がいる。
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