ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【コーヒーの効能】難波先生より

2013-03-21 12:10:04 | 難波紘二先生
【コーヒーの効能】昨夜、寝床で読んだ「要約・世界文学全集2」にシュティフター「水晶」があった。1作が10分で読めるから便利である。
 クリスマスに兄妹が雪の峠を越えて、隣村の祖父母を訪問した後、帰りに峠で遭難するが、氷の洞窟で一夜を明かし、無事救助される物語だ。


 帰る前に祖母が濃く出したコーヒーを詰めたビンを持たせてこういう。
 「これはお薬と言ってもいいくらい、とても精がつく。一口飲めばお腹が温まって、どんなに寒くても身体が凍えることがないのだよ」
 それに「帰り道で食べなさい」とパンを二切れくれる。「焙煎して粉にひいたコーヒー」を母親への土産に持たせている。


 前、これを「世界の文学」で読んだときには、ここが重要な布石になっていたことを見落としていた。さすがに要約者である木原武一は、ここをちゃんとピックアップしている。深い雪で進めなくなった二人は、氷の洞窟に避難する。そこで「お祖母さんの贈り物」を飲んで、パンを食べ、寝ないで夜を明かし、反対側から登ってきた救助隊に助けられる。


 この作品ははじめ「聖夜(Der heilige Abend)」(1845)として発表され、1853年に『石さまざま』に収録刊行されるさいに、改作・改題されて「水晶」になっている。しかし、幼い兄妹がはじめて飲んだ濃いコーヒーが、二人の命を救ったというプロットは変わっていないようだ。


 ドイツへのコーヒーの普及は、フランスースイスーオーストラリア経由で時期的に遅れたようだ。1819年、ナポレオン戦争処理のウィーン会議の後のウィーンには150軒の喫茶店があったという。この頃にはベルリンにも喫茶店があった可能性がある。
 http://de.wikipedia.org/wiki/Kaffeehaus


 喫茶店(コーヒー・ハウス、カフェ)は文学、科学、政治の会合の場所となっていた。フランス革命は喫茶店「フォア」のテーブルの上に立って若い弁護士デムーランが「市民よ武器を取れ!」とアジ演説をやったのが、バスティーユ襲撃のきっかけとなったとされている。1848年にはパリの二月革命に続いて、ベルリン革命が起き、若い医学生だったルドルフ・ウィルヒョウもバリケードでの戦いに加わっている。


 ジャガイモとソーセージとザワークラフを食っていた後進国ドイツでは、19世紀の40年代にはまだコーヒーなんてさほど普及していなくて、だからシュティフターは「水晶」のトリックに、コーヒーを使ったのだとやっとわかった。
 日本ではなんと、写真家の下岡蓮丈が明治11年に最初の喫茶店を東京に開いている。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/日本における喫茶店の歴史


 1960年代の広島では「純喫茶」というのがコーヒーハウスの名称で、サークルの会合とかデートの場所に使われていた。今は、喫茶店文化も廃れた。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【サイバー攻撃】難波先生より | トップ | 【バイオリズム】難波先生より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

難波紘二先生」カテゴリの最新記事