【55歳で昇給停止】国家公務員の定期昇給を55歳で打ち切る、というNHKの報道を見て驚いた。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121115/k10013499171000.html
国立大学の場合、1983年頃、「教職員の昇給は55歳でうち切り」となったからだ。
「職員の定年を55歳から60歳に延長したとき、財源不足のため、55歳以後の年次昇給停止がうち切りとなり、これに合わせて教官も停年と関係なく55歳でうち切りとした」、と詳しい人から説明を受けていたからだ。
大学教官の定年は、「大学評議会」が定めるので国立大学により異なる。従って定年が一律である事務職には「定年」という字を用いるが、教官には「停年」という字を用いていた。当時の大学教官は60歳停年が東大、63歳停年が京大、広島大など、65歳停年が岡山大、山口大などだった。
「独法化」してのち、東大でも停年を65歳まで延長した。広島大は63歳停年を維持しているが、いつまで続けられるか…
なお米国でもドイツでも、教授・研究職に停年はない。NIH, NCI(国立癌研究所)の病理部長だったDr.ステュワートは80歳近くなっても、別な場所にオフィスを構えて、研究を続けていた。米国では国家公務員の年金受給資格が57歳で生じ、現役時の7割の年金が保証されるので、さっさと辞めて環境のよいフロリダなどの州に移住し、民間でのんびり働く人も多い。
この制度の導入以前は、毎年定期昇給していたので(当時は「何等級何号俸」と呼んだ)、65歳停年の場合、55歳過ぎても15回、年次昇給があったことになる。
この停年うち切りの際に、大蔵省=文部官僚は、教官にばれないように「俸給体系表」自体を変えてしまった。
それまでは教授は「1等級」であり、「8号俸」というような呼び方だった。「1等級8号俸」と名乗れば、すでに「位は教授、職について8年」とすぐにわかった。新体系では教授を「5級」にし、号俸の方は前のままに残した。しかし大学の教官などというものは、世俗のことに疎いから、「1等級」から「5級」への意味の変更に気づかなかった。だから特段、騒ぎにもならなかった。
大学の教官停年制というのは、1886(明治19)年3月に「大学令」が施行され、「東京帝国大学」が発足したときに教授会が決定したらしい。この時、東京帝大は「60歳停年制」を定めた。1897(明治30)年6月創立された当時の、「京都帝国大学」の教官停年については、知らない。
ところで、東京帝大文学部哲学教授井上哲次郎(1856~1944)は、1884~90年まで6年以上ドイツに留学していて、「自分は停年を決めたときの教授会に参加していなかった。そのような規則に従えない」という理由で、60歳での停年退職を拒否し、67歳まで勤めた。つまり大正5年に辞めるべきところを、大正12年まで居座った。他にこういう人物はなく、日本大学史上、空前絶後の人物であろう。
NHKによると、人事院勧告は<今年度の人事院勧告では、民間よりも給与水準が高くなっている55歳を超える国家公務員の昇給を原則として停止し、5段階の人事評価のうち上位2段階の職員に限り、引き上げ幅を圧縮して昇給を認めるよう求めています。>となっている。
これはいわゆる「特別昇給」のことで、教員の場合は大学、学部別の「人数枠」があり、一部のものが1号俸昇給する。「学部自治」がある場合には「人事委員会」で審議して候補者を決定する。学長には特別枠がある。
で、この人事院のいう「上位2段階に限り」というのは「特別昇給」制度により、55歳以後の昇給を認めようというものだろう。
これで分かったのだが、これまで事務系の国家公務員は「特別昇給」という制度を利用して、実質的に定期昇給制度を維持していたのだな、ということだ。
「年次」の代わりに「隔年」と「定年前」を組み合わせれば、55歳以後も3回昇給があることになる。
間違っていたらお詫びするが、いや役人の智恵は恐ろしいですな。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121115/k10013499171000.html
国立大学の場合、1983年頃、「教職員の昇給は55歳でうち切り」となったからだ。
「職員の定年を55歳から60歳に延長したとき、財源不足のため、55歳以後の年次昇給停止がうち切りとなり、これに合わせて教官も停年と関係なく55歳でうち切りとした」、と詳しい人から説明を受けていたからだ。
大学教官の定年は、「大学評議会」が定めるので国立大学により異なる。従って定年が一律である事務職には「定年」という字を用いるが、教官には「停年」という字を用いていた。当時の大学教官は60歳停年が東大、63歳停年が京大、広島大など、65歳停年が岡山大、山口大などだった。
「独法化」してのち、東大でも停年を65歳まで延長した。広島大は63歳停年を維持しているが、いつまで続けられるか…
なお米国でもドイツでも、教授・研究職に停年はない。NIH, NCI(国立癌研究所)の病理部長だったDr.ステュワートは80歳近くなっても、別な場所にオフィスを構えて、研究を続けていた。米国では国家公務員の年金受給資格が57歳で生じ、現役時の7割の年金が保証されるので、さっさと辞めて環境のよいフロリダなどの州に移住し、民間でのんびり働く人も多い。
この制度の導入以前は、毎年定期昇給していたので(当時は「何等級何号俸」と呼んだ)、65歳停年の場合、55歳過ぎても15回、年次昇給があったことになる。
この停年うち切りの際に、大蔵省=文部官僚は、教官にばれないように「俸給体系表」自体を変えてしまった。
それまでは教授は「1等級」であり、「8号俸」というような呼び方だった。「1等級8号俸」と名乗れば、すでに「位は教授、職について8年」とすぐにわかった。新体系では教授を「5級」にし、号俸の方は前のままに残した。しかし大学の教官などというものは、世俗のことに疎いから、「1等級」から「5級」への意味の変更に気づかなかった。だから特段、騒ぎにもならなかった。
大学の教官停年制というのは、1886(明治19)年3月に「大学令」が施行され、「東京帝国大学」が発足したときに教授会が決定したらしい。この時、東京帝大は「60歳停年制」を定めた。1897(明治30)年6月創立された当時の、「京都帝国大学」の教官停年については、知らない。
ところで、東京帝大文学部哲学教授井上哲次郎(1856~1944)は、1884~90年まで6年以上ドイツに留学していて、「自分は停年を決めたときの教授会に参加していなかった。そのような規則に従えない」という理由で、60歳での停年退職を拒否し、67歳まで勤めた。つまり大正5年に辞めるべきところを、大正12年まで居座った。他にこういう人物はなく、日本大学史上、空前絶後の人物であろう。
NHKによると、人事院勧告は<今年度の人事院勧告では、民間よりも給与水準が高くなっている55歳を超える国家公務員の昇給を原則として停止し、5段階の人事評価のうち上位2段階の職員に限り、引き上げ幅を圧縮して昇給を認めるよう求めています。>となっている。
これはいわゆる「特別昇給」のことで、教員の場合は大学、学部別の「人数枠」があり、一部のものが1号俸昇給する。「学部自治」がある場合には「人事委員会」で審議して候補者を決定する。学長には特別枠がある。
で、この人事院のいう「上位2段階に限り」というのは「特別昇給」制度により、55歳以後の昇給を認めようというものだろう。
これで分かったのだが、これまで事務系の国家公務員は「特別昇給」という制度を利用して、実質的に定期昇給制度を維持していたのだな、ということだ。
「年次」の代わりに「隔年」と「定年前」を組み合わせれば、55歳以後も3回昇給があることになる。
間違っていたらお詫びするが、いや役人の智恵は恐ろしいですな。
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